ぺんちゃん日記

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三国志を読み返す 宮城谷昌光・三国志 第5巻の感想

ベスト8が出揃い勝負はベスト4へ。

宮城谷昌光三国志、全12巻の中で第5巻となります。

これまでの流れ。

第4巻では曹操兗州を足がかりに徐々に地盤を固めます。
陶謙の部下に父親を殺されると復讐のための徐州を蹂躙。
それを防ぐために劉備玄徳が陶謙から徐州を譲り受けます。
そこに現れたのは呂布
長安董卓を殺したものの体制を維持できず飢えた狼のように流れてきました。

漢王朝献帝を手中に収めた李傕と郭汜が実権を握りますが徐々に 仲間割れ。
献帝は混乱の隙を見て長安を脱出。
孫堅は戦死して孫策袁術を頼ります。
袁術袁紹は皇帝に即位する野望を抱き牽制し合います。

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第5巻は英雄たちの生き残り合戦。

ゾンビ化する漢王朝

董卓の時代までは朝廷人事が政治の大半を決めていましたが、 既にパワーの時代。
袁術袁紹は自分勝手に爵位を発行する快感に溺れてしまったのでしょうか、 天子に対する敬意はほとんどゼロ。
その他を見渡しても漢王朝400年の 重みに耐えられる英傑はいそうにありません。
みんな自分を守るのに精一杯で、 ろくに働きもせずに冠婚葬祭司る百官 たちを養う余裕などありません。

それでも漢の皇帝が持つ妖しい魅力に寄せられて 命をかけるのがいます。
献帝を忖度して 曹操暗殺計画を企んだ董承。
献帝を迎え入れた曹操は 皇帝の思い通りに動くほど甘くありません。
厳しくしつけていると言っても良い。
だからといって曹操を殺したところで滅亡を早めるだけ。
南北から迫る袁術袁紹を跳ね返す力もありません。彼らは皇帝を生かしておく気もないのです。
すでに王朝は死に体で、そこに力を注ぐのは死者を生き返らせようとすることと同じ。
ゾンビを愛するようなものです。

曹操だって献帝の求めに応じて助力するには勇気がいったでしょう。
荀彧の強い後押しがあったようですが、 受け入れた後の付き合い方が難しい。
曹操献帝との距離感を間違えませんでした。
宦官、外戚董卓、 みんな距離感を間違えて権力に近寄りすぎ、制御できずに滅びて行きました。
このバランス感覚はどこから来たのでしょうか?
当時の中国は儒教の教えで成り立っていましたが、 その中で宦官はアウトカースト
宦官の孫として育った曹操儒教ヒエラルキーに対して疑問を持っていたと言えます。
徐州 が鬼門だったのはひどい宦官差別だったかもしれません。
常に偏見の目で見られる曹操に してみれば尊王意識の高い 儒教学者からの信頼を得るために 皇帝の力はだったのでしょう。
当時の儒学者は 政治家の行動の善悪を議論しながら世論を作り上げていた。
現代ならマスメディア的機能を果たしていたのではないかと想像します。
村里を取りまとめる村長たちは郷里の儒学者の意見を参考にすると考えれば、税収にも関わってくるでしょう。

それぞれの戦いそれぞれの正義。

あまたの英雄たちが散って行き、気がつけば後に三国時代を築く英雄たちだけが生き残ることに。
曹操劉備を散々手こずらせた英雄の一人、呂布曹操に敗れ処刑されます。
公孫瓚は固く守りましたが袁紹に倒されて姿を消します。
張繡は曹操に痛い目を見せましたが、 時代の流れを読んで賈詡の助言を素直に受け入れ、曹操に合流します。

袁術は得意のブランド力で人材を集めるものの、ケチで人を信用できないため上手に活用できません。
呂布を受け入れて活用できれば孫堅とともに 無敵だったと著者の宮城谷は想像を膨らませます。
殺したいほど憎んでいた袁紹に頭を下げる屈辱。
袁譚に匿ってもらおうと移動中に野垂れ死にするなんてね。

同様に袁紹も遠く蜀、長安まで含めて全土に大号令をかければ袁術もろとも挟み撃ちして天下を取る大計があったと見抜きます。
この第5巻、いや三国志全体の中でも天王山とも言える官渡の戦いの敗者となる袁紹
優秀な人材をたくさん抱えながらも使いきれません。
策の妥当性よりも 派閥争いが強く、 権力システムがすでに年老いているように思いました。
確実に仕事はできるけど頭は固いトップダウンできない組織。
とはいえ座して死を待ってたわけではなく、 いろいろやってました。
曹操の手数が多すぎとも言えます。
普通あれだけ身軽に動いたら 大事故に巻き込まれること必至ですが、 自滅しませんでした。
相手が並みの英雄なら戦わずして勝利していた可能性も大です。

孫堅のあっけない死を跳ね返すように孫策は破竹の進撃。
しかし彼もまたあっけなく暗殺されます。
小覇王とはよく言ったもので、喧嘩にはめっぽう強いがその苛烈さが足元をすくいました。
孫策暗殺事件の顛末が官渡の戦いの真っ只中に差し込まれているところにびっくり。
これまでいくつも三国志は見てきましたが、こんな大事なタイミングで孫策が死んだとは気がつきませんでした。
邪魔だった袁術が破滅して、袁紹が南下の気配を見せ、曹操の視線が北に向いている 今、 南から本拠地の許を襲えば 歴史は全く変わったでしょう。
孫策袁術が皇帝を名乗ったことを批判します。
逆賊になることを避けるために袁術から離れる行動は地に足がついている、良臣に恵まれている上に意見を聞く度量があったと思います。

劉備は今だに足元が定まりません。
その逃げ足の速さと変わり身の節操なさと言ったら呂布以上の裏切り者。
徐州を呂布に奪われて曹操に助けられ賓客としてもてなされたにも関わらず、董承の曹操暗殺計画に巻き込まれて裏切り。
曹操に敗れて袁紹を頼るが、立場が悪くなると味方のフリをしながら徐々に遠ざかる。
しまいには劉表を頼って流れます。
家族や仲間を捨てて逃げるような男に何の魅力があるのか不思議。
だからこそ関羽の忠義は際立っています。関羽が単騎で顔良の首を取るところはしびれました。
著者はその関係を関羽に甘えていると 表現したのが印象的。
誰の支配も受けない精神的広大さは老荘思想らしく常識では測れませんね。

曹操の素晴らしさはフットワークの軽さ。
40代、だんだん無理が効かなくなる年代なのに 実に精力的に働きます。
袁紹との最終決戦に備えて東西奔走して呂布と張繡を 根気よく攻略します。
戦争とはいえ自分の長男を殺した張繡を許して仲間に加える度量は曹操ならでは。
曹操の人を信じる力は並大抵ではありません。
敵方のタレコミを信じて兵糧輸送部隊を襲う作戦、しかも機動力を高めるために自分の手勢を率いて直行するその勇気。
勇気というよりは無謀。
その博打に乗らなければならないほどギリギリの勝負だったといえます。
実際曹操は泣き言の手紙を荀彧に送り励まされていた模様。
この大勝負の中に曹仁夏侯惇の顔がありません。
曹仁は周辺の治安維持で 反乱の芽を摘んでいました。
古参の武将たちは留守番と守りを任されていたのでは
長安から西の守りを鍾繇に任せた的確さもすごい。
全く言うことを聞かない異民族の略奪行為で治安最悪だったところをよく守りきったものです。



このように燃えるような才能を発揮した英雄が消えていきました。
喧嘩の強さだけで時代を築いた呂布が消えるのが寂しい。
この時点で生き残っている英傑は曹操だけ。
官渡の戦いで風見鶏を決めた劉表には 天下に号令する資格はなく 、急に家督が回ってきた 孫権袁尚の行く末は定まらず、ましてや流浪の劉備は相手になりません。
彼らには何が足りなかったのか。
武力、知力、情念 だけでは 天下を取るほどの器にはなれないようです。


第6巻に続きます。
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