ぺんちゃん日記

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三国志を読み返す 宮城谷昌光・三国志 第9巻の感想

宮城谷昌光三国志、全12巻中で第9巻となります。

これまでの流れ。

劉備が漢中を制して一大勢力となり、魏・呉に対抗できる力を得た。
400年続いた漢帝国献帝から曹丕への禅譲という形で滅亡。
劉備漢王朝の滅亡を防ぐため、自らが後継者として皇帝に即位。
魏呉蜀三つの国が生まれて三国時代を迎えた。
と同時に曹操関羽劉備など時代の立役者が次々とこの世を去る。
彼らの志は次世代に受け継がれ中華は新たな局面へ。
呉、蜀の同盟関係は荊州を侵略して関羽を殺したことで一度は大きく決裂するが和解、協調して魏に対抗することになる。

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第9巻 諸葛孔明 VS 司馬懿仲達 因縁の戦い始まる。

魏の曹丕が体調を崩して死去する。
まだ若い曹叡は父を補佐した重鎮たちの意見をよく聞き無駄な争いを避けた。
蜀の諸葛亮は政情不安につけ込み北伐、魏が対応に追われているあいだに呉の孫権が魏の東部と南部に侵略を試みる。
魏は両国の波状攻撃を受けるが 痛み分け。
そこで出世の足がかりを掴んだのが司馬懿仲達だった。
数々の戦場で曹操の薫陶を受けて学んだ曹家の有力者が亡くなるに従って権力は 司馬懿に集中していく。
諸葛亮は将来を担うと期待していた馬謖を敗戦の責任を取らせて処刑したため 彼を補佐する人材が育たない。
諸葛亮はその後も度々北伐を繰り返したが司馬懿の粘り強い守りを崩せず。
孫権は遼東を支配する公孫淵と手を組んで南北から挟み撃ちしようと考えるが、公孫淵に裏切られて大失敗する。


さて、ここからは三国志を自分なりに楽しんだ妄想です。

司馬懿仲達。

特筆すべきは司馬懿仲達の大出世。
転がってきた幸運を取りこぼさず引き寄せた剛腕の持ち主。
司馬懿曹丕の補佐を行ったが曹丕曹操の後を継いだので重臣となる。
曹丕曹叡に冷たかったので曹叡の人脈が薄く、 曹叡に頼られる。
孟達の反乱を速やかに鎮圧し曹叡に軍事的才能を評価。
曹休・曹真が病死すると決定的な権力を握ることになる。

経験豊富な副将の張郃が有能。
司馬懿は手柄を奪われたくないからか、張郃の提言を度々却下しては痛い目を見る。
しかし相手の諸葛亮も副将魏延の意見に耳を傾けず度々の勝機を見逃して互いに勝利の譲り合いする。
こんなところまで諸葛亮司馬懿は良きライバル。
実際二人の副将は天下無双の豪傑といって差し支えなく、十分な戦力を与えると手のひらの上から逃げ出して独立する恐れはある。
身内の権力統制まで将軍の仕事と言えなくもない。
司馬懿曹叡の血縁ではないので後ろ盾はないのだ。


諸葛亮孔明

名軍師の代名詞といえば諸葛亮孔明
敵の裏をかいてギャフンと言わせる先読みの天才。
その手柄の何割かは三国志演義の脚色であることは周知の事実だろう。
しかし実際は諸葛亮の戦い方はリスクを嫌う傾向が強く意思決定が遅い。
良くも悪くも常識人。個の力よりも組織で戦うタイプで法律と秩序を重視する。
そんな手堅い諸葛亮が採用した奇策は無名の馬謖の大抜擢。
その馬謖が以心伝心、精一杯の奇策を取って山の上に陣地を作ってあっさり敗れた。
呂蒙陸遜を抜擢して関羽を倒した前例があるが、諸葛亮には軍人の良し悪しを見抜く目がなかったようだ。
絶好のチャンスを李厳の嘘報告で撤退させられるのだから、味方がひどすぎると言うか人材不足すぎる。
それなのに魏延の言うことは全く聞かない。
仲悪すぎでしょ。

孫権

孫権三国志の中では影が薄い。
常に横からチャチャを入れる立場。
三国志をまとめた陳寿が蜀の出身で晋(司馬懿一族が興こした)で働いていたことを考えれば話題の中心が魏と蜀になるのも仕方がない。
とはいえ歴史の評価を一段下げざるを得ない根拠もあって、漢皇室との縁がなく、正当性がない。
孫権はそこを理解して美しさより勝利を優先する。
なにより赤壁の戦いで大逆転した成功体験は忘れられない。
領土的野心を隠しもせず、関羽を欺いて討ち取ったし、曹休は偽りの亡命でおびき出して勝利して勝ち誇った。
歴史は戦い方から透けて見える人間性を描く。
そこを見れば諸葛亮魏延の提案する長安電撃作戦を取らなかったのも正当性を失わないための長期的視点だったと考えることもできる。
趙雲は自分の人生を振り返って劉備の正直さと負けっぷりを懐かしんだ。
趙雲の視点からすれば諸葛亮と合流してからの劉備の生き方がどことなく胡散臭くなってつまらなくなった。
自分の信念に従って戦死した関羽が羨ましかった。


大まかな流れ。

曹丕が死ぬ。
後を継いだ曹叡曹丕重臣(王朗、劉曄陳羣司馬懿)を引き継ぐ。
曹仁張遼を失って人材乏しくなったところに司馬懿は鮮やかな功績を立てて将軍となる。

曹叡は手堅く内政を尽くす。
国防では東を曹休、西を曹真、南は司馬懿が守った。

孫権は兵糧不足で群を動かせない。

充実していたのは南蛮を制定した諸葛亮
満を持して出師の表を出す。
関羽を助けず劉備から嫌われ魏に奔った孟達曹丕にはもてなされたものの、
曹叡に気に入られず居心地が悪かった。
諸葛亮孟達が恐れる劉備はもういないので 蜀に取り込めると考えた。
しかし猜疑心が強い孟達の決断は鈍く、昼夜兼行で駆けつけた司馬懿に討ち取られる。

出鼻をくじかれた諸葛亮は全軍を動かして武力での攻略に移る。
別働隊の趙雲を囮に使って諸葛亮が北上するプラン。
漢中に詳しい魏延長安を守る夏侯楙が凡庸であることを見抜き、一挙長安を攻める作戦を提案したが却下。
馬謖を先鋒として正攻法で戦う。

別働隊の趙雲は曹真と激突し敗北。
馬謖は山の上に陣を張り水源を抑えられて敗北。
諸葛亮は退却を決める。
敗戦処理として重大な軍規違反を犯した馬謖を斬った。
天水の姜維が登用される。
趙雲は翌年死去。

孫権諸葛亮が動くのを見届けてから動き始めた。
配下の武将に偽りの投降をさせ曹休をおびき出す作戦。
その策にまんまと引っかかり曹休は呉の内地深く入り囲まれ大打撃を受ける。
曹休は賈逵に救われたが八つ当たりし、悔しさの中で死んだ。

魏が大敗したことを聞いた諸葛亮はもう一度北伐して曹真を攻める。
しかし曹真が警戒して名将の郝昭に守らせていたので城は固かった。
攻めあぐねて退却を決意した諸葛亮は追いかけてくる王双を切り捨てて手柄にした。

諸葛亮は夏を待たずすぐさま軍を引き返して今度は勝利。
その手柄で丞相に復活。

孫権がいよいよ皇帝に即位。
蜀の理念は漢の復興であるから劉姓以外の皇帝は認められない。
蜀の群臣たちは色をなしたが諸葛亮は冷静に祝賀の使者を送った。

曹真と司馬懿は蜀を攻める。
しかし雨が続いて足止めを食っている間に曹真が病にかかって撤退。
都に帰った曹真は病で死んだ。

その頃、孫権合肥の攻めていた。
守る満寵は援軍を呼び寄せるか孫権は退却。
満寵は援軍を解散させず成り行きを見守ると孫権は撤退すると見せかけて急に反転攻撃を始める。
孫権は奇襲を見抜かれたと知って退却。無駄足となった。

曹一族の力が衰えて司馬懿が西の大将軍となる。
その隙を伺って諸葛亮がまたまた北伐する。
防衛する司馬懿張郃の提案を却下してしまったため劣勢となる。
手堅く守って押し返すと両者決定打を出せなくなる。
諸葛亮は退却の偽装で誘い込む。
司馬懿はここでも張郃の提案を却下。
一方、諸葛亮魏延の作戦を却下。
両軍は特別な策がないまま衝突、戦い慣れた魏延を止められるものはなく蜀の勝利。
戦いは常に諸葛亮有利で進む。
司馬懿は我慢比べの防衛戦。
司馬懿は追い詰められたが長雨が続いて蜀の攻撃が止まり、その間に蜀の兵糧が尽きてしまう。
雨で食料輸送の道が途絶えたのだった。
諸葛亮は撤退を決める。
司馬懿張郃が止めるのも聞かず追撃命令を出す。
諸葛亮の伏兵で張郃が死ぬ。
諸葛亮が引き上げてみると兵糧が届かないという報告は嘘だった。
責任者の李厳を平民に落として諸葛亮の北伐は終わった。

孫権は打開策が見つからず伝説の島探しをしていた。
台湾と九州である。
台湾は見つかったが九州南部の諸島まではたどり着けず、手ぶらで帰ってきた調査団に孫権は激怒。獄に下す。
孫権次の一手は遼東に使いを出して外交を結び、魏を北から圧迫しようと考えた。
それを察知した曹叡は帰り道を妨害。
船は嵐で沈んで孫権の使いは帰りつけなかった。

陳羣劉曄が老衰で亡くなる。

魏の攻撃を受けた遼東の 公孫淵孫権に貢物と使者を出す。
これを最大のチャンスと捉えた孫権は大船団を組み遼東に派遣して挟み撃ちしようと考える。
張昭をはじめとする臣下たちの反対を押し切って1万人の兵隊をのせ大型艦を送り出す。

受け入れる遼東の公孫淵は突然態度を変えて呉の部隊を襲撃。
海に停泊していた船も襲って財宝を奪った。

これを知ったり孫権は大激怒。
報復を号令するが臣下達は反対。
特に最初から反対していた張昭とは険悪な関係となる。
和解したものの張昭は病でこの世を去る。

孫権は評判の良かった次男の孫慮が病気で死ぬと食事が喉を通らないほど悲しんで、地方に出していた長男の孫登を呼び寄せる。

第10巻に続く。
三国志を読み返す 宮城谷昌光・三国志 第10巻の感想 - ぺんちゃん日記