ぺんちゃん日記

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三国志を読み返す 宮城谷昌光・三国志 第7巻の感想

宮城谷昌光三国志、全12巻中で第7巻となります。

これまでの流れ。

曹操孫権赤壁で激突。
水の上での戦いになれない曹操は圧倒的戦力差がありながら周瑜の前に敗れる。
曹操を倒す絶好の機会と周瑜はすぐさま追撃する。
同盟関係を結ぶ劉備はこれに協力する。
しかし、後ろを守る曹仁の粘り強い戦いに阻まれて進めない。
長江を境に、北に向かって曹操を攻めるのは周瑜が行い、 南を劉備が口説く作戦に変更する。
劉備はこれに成功して、少ない手勢で自分の領地を獲得した。



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第7巻 劉備大躍進、いざ三国時代へ。

これまで逃げることで生き延びてきた劉備が 一気にのし上がりました。
劉備のターンです。
赤壁の勝利で勢いのあった孫権諸葛亮にやり込められて 精彩を欠きます。
劉備が領地と人材を得たことで諸葛亮が輝きます。
諸葛亮は戦が出来なくて逃げ回っているだけと張飛から 酷評された雪辱を晴らします。
孫権に土地を奪われないだけの組織力を 用意できたというのは、これまでの劉備と比べてみれば諸葛亮がいるかいないかの差だと分かるでしょう。

曹操は順調に領土を拡大。
精力的に働く一方で自分の死期を考えて 「王」の肩書きにこだわる様子も見せ、意見の相違から荀彧を失います。

物語は3人の英雄たちにフォーカスが 集中し始めるのも第7巻の特徴。
賊や周辺部族の氾濫とか、地方領主のせこい小競り合いは 急減しました。
宮廷内の権力闘争も減少傾向。
これまでの乱れた世界は何だったのか。
曹操孫権劉備の政治がそれだけ優れていたということでしょうか。
軍事力が突出していて逆らえなかったという線が強いですが。
描かれていないことを想像するのも面白い。
話が散発的にならないから読むのが楽でありがたいです。

劉備の入蜀。

劉備が入蜀するところが山場です。
相当リスキーでしたね。

私はこれまで土地勘がなくて劉備軍全体で南から北へと攻め上ったと勘違いしていましたが、実際には 関羽張飛諸葛亮などを荊州に留守番させて、龐統などの限られた人材だけを引き連れて 成都の北、 漢中国境沿いにいたんですね。
戦う相手は張魯
関羽張飛のよう古参だけが活躍するのではなく、新参者にも活躍の機会を与えて才能を発掘しようと言う試みも伺えます。

相手の懐深くまで踏み込んで長逗留。
万が一劉璋の機嫌を損ねたら、あるいは急に気が変わったら、補給路もなく孤立無援のまま正面には劉璋、後ろから張魯の挟み撃ちです。
軍師としては暗殺でもいいから一刻も早くこの状況を脱出したいと考えるのは当然のこと。
それにしても劉備の倫理観は分かりにくい。
こんな状況で「孫権から助けてって手紙が来たから、俺帰るわ」なんてどのツラ下げて言うのやら。
それが劉備にとって得策だったらまだしも何の得にもならない案件なのだから 人が良いやら悪いやら。
この辺、ガチの三国志ファンならしっかり研究していて理由を説明できるかもしれませんが、私のぼんやりした解像度の認識では及びません。
案の定関係がこじれて、荊州から諸葛亮などを呼び寄せて応援してもらわなければならなくなりました。
荊州関羽一人に防衛させるこのリスク。
だったら最初から決断しておけよ。
援軍の到着が遅れたら全てを失っていたかもしれない。

決定打となったのは馬超の参入に劉璋の心がポッキリ折られたとのこと。
西涼の錦・馬超と言われますが、その雄名は西涼だけでなく漢中を飛び越えて蜀まで届いていたのでした。
名前だけで勝利を呼び寄せるなら常勝無敗よりも強いと言えるでしょう。
彼は涼州にも顔が利くし、 道案内も完璧だから、彼が仲間にいるだけで随分心強い。
関羽五虎将軍の中に黄忠馬超の名前があるのが不満だったようですが、 中途採用でも出世できて、なんならこれから成果を出す期待値込みでの出世もできる風通しの良い組織であることのアピールの重要性を軽く見積もっていたと言います。
関羽、そういうとこやぞ。

龐統について。

鳳雛とあだ名された龐統
伏龍・鳳雛、どちらか片方を得れば天下は取れるだろう。
そんな噂がありながらあっけなく散りました。
もし生きていればとタラレバの話題でしか活躍できない人物。
割と薄べったい人物像でしかイメージできていなかったのですが、宮城谷作品では割と立体的に描かれていたので感想をつらつらと書きたいと思います。
もちろん私の空想です。

自分の才能に対する絶対的な自信がある鼻持ちならないタイプ。
都合の悪い事実を歯に衣着せずにすっぱ抜いてくる人。
こういうやつ確かにいるし、近くにいたらうざいわ。
上ずった声で早口でまくし立てて最後にドヤ顔する姿が想像できます。
田舎の集団生活に放り込んだら異分子だけど、エリート集団の中なら才能として愛される。
小役人では力を発揮できないというのは実に適切な評価だと思われます。
みにくいアヒルの子は白鳥の群れに入ってこそ羽ばたける

最初に彼の才能を引き立てたのは周瑜
病没した周瑜の亡骸を孫権の元に送り届けたのは龐統
それを許されるだけの信頼関係があったと言うこと。
残された周瑜の家族を助けて孫権に帰属すれば 忠義も立つし 出世も早かったと思われるが、入れ替わりで赴任してきた劉備のもとで働く。
その身の振り方が 野望の大きさを表していると思います。

最初に劉備にあった時に才能を認めてもらえなかったことは彼の自尊心をさぞかし傷つけたことでしょう。
孫権劉備のどちらも 彼のとっつきにくい パーソナリティに隠れた才能を理解できなかったと想像できます。
龐統はふてくされて仕事をボイコット。
しかし諸葛亮魯粛の強い推薦を受けて劉備に抜擢されます。
同窓の学友とはいえ将来的にはライバルとなる諸葛亮、同盟国とはいえ敵の魯粛から認められるのだから実力は確かだったのでしょう。
魯粛が認めた人材なのに、優先権の高かったであろう孫権が手を出さなかったということは、孫権には相当嫌われたということですね。

龐統劉備の参謀として蜀攻略に向かいます。
劉備が入蜀の際に率いた兵力は2万。
滞在期間はおよそ1年。
これを飢えさせず瓦解させずに 劉備を守り抜いた龐統の手腕と言えます。
城を攻め落とすのに苦戦したところを見ると、兵卒の指揮はそれほど上手くはなかったという評価は避けられません。
実践経験のない事務方のヒョロガリの命令では軍人は素直に従わなかったと想像できます。
攻略が上手くいかないことを劉備は「まだか」と問わないところが龐統の誰よりも高いプライドをさぞかし傷つけたことでしょう。
劉備諸葛亮に救援を依頼するのだけど、 龐統からしてみれば無言の催促でしかない。
大きな手柄を立てないまま諸葛亮と合流、その後落城となれば諸葛亮の手柄となり龐統の出世の道は閉ざされるに違いありません。
勇敢なところを見せようと陣頭指揮した結果、流矢に当たって命を落としたのも彼らしい最期だったかもしれません。

大まかな流れ。

赤壁の戦いが一息ついた劉備孫権はお互いを褒めあって 両国の関係の良好さをアピール。
孫権は妹を劉備に嫁がせる縁談を持ちかける。
劉備は反対する諸葛亮を押し切って呉まで挨拶に行く。
しかし、これは呉に留めたまま虜にする罠だった。
劉備孫権の中に自分とは合わない決定的な何かを感じて 帰郷する。
互いに思惑を抱えながらも婚姻による同盟関係は成立した。
周瑜曹操がしばらく動けないと見抜いて長江を遡り蜀の地を得ようと壮大な作戦を立てる。
決断の早い孫権周瑜を将軍として軍を編成したが、周瑜が突然の病に倒れる。
困った孫権劉備を代理の将軍に任命して手足のように使おうとするが、劉備は断る。
両者の関係はにわかにこじれて、 小競り合いとなるが、 諸葛亮の手紙により孫権は矛を収める。

曹操赤壁の傷を癒すべく1年間内政に尽くした。
気になるのは馬超韓遂の動き。
討伐を決意して涼州に向かう。
曹操馬超の反射神経が良い戦いに揉まれて命からがら許褚に助けられ脱出。
曹操が無事だったこともあり勢いを取り戻す。
馬超は猛攻撃したが息が続かず 膠着状態に。
消極的な作戦ばかりで意見の合わない韓遂との亀裂は深まるばかり。
いよいよ曹操西涼韓遂馬超連合軍は最終決戦へ。
韓遂が動かなくて孤立した馬超が崩れる。
曹操の勝利となったが、韓遂馬超は取り逃がす。

長安から西を平定させた曹操はいよいよ蜀への入り口を開いた。
同盟関係にある張魯と力を合わせて侵入すれば容易く蜀が手に入る。
蜀の暗い未来を予見した張松と法正は主君の劉璋を見限り、結託して劉備と連絡を取り、蜀への手引きを行う。
二人の計画通り曹操を恐れた劉璋は法政を使いに出して劉備を招き入れる。
劉備は軍師として龐統を将軍として黄忠を引き連れ、劉璋と面会する。
龐統劉璋を暗殺するように提案したが、 劉備はまだその時期ではないと 否定。
成都の北、蜀と漢中のあいだにある葭萌に駐留して張魯と戦わずだらだらと食料を食いつぶす。
劉備は民の心をつかむ遠回りの道を選んだ。

その頃劉備がいない荊州で事件があった。
孫夫人が劉禅を拉致して船で呉に帰ろうとしたのである。
気づいた趙雲は追いかけて船の中から劉禅を探し出し、事件は芽のまま摘み取られた。
騒動を起こした孫夫人はそのまま呉に返してしまった。

何としても劉備の領土拡大を妨げたい孫権から劉備の元に使いが来る。
曹操孫権を攻撃する動きを見せているので応援してくれとのこと。
ここで荊州に引き返せばすべてが台無しになる。
もちろん龐統は断るように提案するが、劉備は応援に向かうと約束。
兵糧を騙し取られた形の劉璋劉備の関係が決裂。
劉備成都に向かって進軍する。
諸葛亮荊州関羽を残して、張飛趙雲を率いて蜀に入る。
戦い慣れた劉備軍は黄忠張飛などの活躍が目覚ましく、快進撃を続け、さらに西涼から落ち延びてきた馬超が降る。
全面包囲された劉璋は降伏して位を譲り渡す。
劉備が蜀を平定したが、その過程で諸葛亮に功績を奪われまいと焦った龐統が 無理攻めして戦死してしまう。

孫権劉備が蜀を得たことが気に入らない。
劉備孫権の間で荊州の所有権の認識に大きなズレがあったからだ。
劉備はすでに蜀一州を得たのだから返すのが筋。
しかし諸葛亮がそれを許すわけがなく、荊州を巡って関羽呂蒙が激突する流れだった。
しかし曹操が漢中の張魯攻めるために 西涼にいる。
劉備にとっては漢中からの防衛を考える方が大事だし、 孫権は重要拠点の合肥を攻略するチャンス。
穏健派の魯粛の外交手腕もあって 、まずは半分引き渡し残りは順次と言う痛み分けで手を打った。

曹操西涼夏侯淵をはじめとする将軍たちが活躍し、韓遂を撃破。
張魯曹操に降伏したことで曹操は漢中を版図に収め引き上げ。
魏王となる。
後継者を迷った末に長男の曹丕に決定する。
その裏で伏皇后が曹操暗殺を企んでいることが明るみになり粛清される。
荀彧と王になる時期を巡って意見が合わず、荀彧は自殺する。
合肥孫権に囲まれている。
孫権軍10万に対して合肥の守備隊はたった7000。
城を守る張遼が決死隊を募って出鼻をくじいたこともあって、持ちこたえた。
孫権は何も手に入れられず敗退した。



第8巻に続きます。

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