ぺんちゃん日記

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三国志を読み返す 宮城谷昌光・三国志 第10巻の感想

宮城谷昌光三国志、全12巻中の第10巻となります。

これまでの流れ。

魏は曹丕が突然体調を崩して崩御曹叡の時代へ。

蜀の諸葛亮は呉の孫権と示し合わせて北伐を行う。
しかし、大きな戦いに慣れていない諸葛亮と蜀の国民は戸惑いが多く、ちぐはぐな攻撃で魏の将軍司馬懿の粘り強い守りを崩せない。
それでも諸葛亮は戦いを諦めず、2度3度と攻撃を繰り返すうちに戦い方を覚える。

孫権は東と南から両面攻撃するがどちらも満足な成果を得られない。
そこで遼東の公孫淵と組んで南北から挟み撃ちしようと企むが、公孫淵の突然の裏切りで大きな痛手を受ける。


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第10巻 生ける司馬懿仲達、天下を駆ける。

諸葛亮は勝利を目前にしながら兵糧不足で敗北したことを反省し、3年かけて兵站を整える。

万全の態勢で出陣する諸葛亮、そして防衛する司馬懿
諸葛亮司馬懿は手堅い采配で相手に攻撃の隙を与えずがっぷり組み合う。
先に動いた方が負けると考えた両者は睨み合ったまま動かない。

その頃 、呉の孫権は足並みを揃えて合肥に攻め込む。
守備を指揮する魏の満寵の采配は鮮やかだったが兵力が手薄だったため曹叡が救援に向かう。
洛陽が長期間空っぽになることを心配した曹叡司馬懿には長安の死守を最優先してむやみに攻撃を行わないように厳命した。

諸葛亮司馬懿の戦いは長期戦の様相を見せていたが、諸葛亮の発病により事態が一変する。
諸葛亮の病は重く死を悟って退却せよと遺言する。
将軍の魏延はその内容が気に食わず クーデターを起こすが失敗。
司馬懿は敵の混乱ぶりから諸葛亮の死を悟るが曹叡から戦わないようにと厳命されていたため撤退する。

蜀と呉の傷が深いとみた魏の曹叡は遼東の公孫淵の討伐を試みる。
将軍の毌丘倹が失敗し、次に指名された司馬懿公孫淵を完全に滅ぼし、司馬懿の名声は天下に轟いた。

凱旋した司馬懿を待っていたのは曹叡の突然の訃報だった。
曹叡の養子の曹芳が後を継ぐことになったが、まだ幼いので摂政が必要だった。後見人選びは二度三度と覆るが、曹真の子の曹爽と司馬懿に決まる。



さて、ここからは三国志を自分なりに楽しんだ妄想です。

私が読んできた三国志諸葛亮が死ぬところで完結してしまうのでここからは未知のゾーン。
諸葛亮が死んだら読む気をなくすかと心配したけど、その後も滅法面白い。
司馬懿は少年漫画の主人公かと思うくらい負けない・死なない・幸運が転がってくる。
ここからの主人公は司馬懿仲達だと思って間違いない。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」のエピソードを真に受けて笑ったのはごめんね。
そんな裏事情があるとは知らなかったんだよ。
孔明の遺骸を見て逃げたのは、どっちかと言うと魏延

司馬懿三国志の最終勝者=ヒーロー。
生きて逃げるところから始まる活躍って少年漫画なら第1話だね。
面白い漫画になるぜ。
裏事情が明かされるのは8巻くらい?
大ヒット間違いなしだね。

司馬懿公孫淵討伐は日本人にとって、実は身近な出来事。
みんなが知っている邪馬台国卑弥呼がこの時期だからだ。
日本から貢物の使者がきたと魏の歴史書の一節に登場する。
日本は高句麗に対抗するため遼東の公孫淵と交流していたが、魏の勢いを知り公孫淵は滅びると予感。
さっそく使者を送って来た。
司馬懿の取り計らいで洛陽まで行ったとなると胸が熱くなる。

領土を持たない劉備蜀漢の皇帝まで押上げたのは 紛れもなく諸葛亮の組織作りの匠さだろう。
劉備の後を託されて絶大な権力を持っていたはずなのに 忠実な臣下として振る舞ったところは優れたバランス感覚だった。
皇帝の周りにいるのはプライド高い奴らばっかりなのに足を引っ張られなかった。
涼しい顔で諸葛亮の失敗を聞き流せる劉禅の器もある意味大きい。
政治に無関心すぎて諸葛亮の権力を恐れなかったアホ加減の劉禅諸葛亮はちょうど良いコンビだったかもしれない。

将軍諸葛亮の成長は著しい。
北伐を度々失敗したが、戦い慣れていない蜀の民をまとめあげた組織力を評価する声に同意したい。
諸葛亮の戦い方をノーリスクで発想のきらめきがないと酷評してしまったが、果たしてそんなつまらない男だったか?
その戦い方が最適解だったから、ただそうしただけではないか。
タラレバ話をしても仕方ないが、世界の趨勢が決まる前に劉備と会っていたらどこまで成長出来たか。
変幻自在、神出鬼没の作戦を見せて欲しかった。

……それって三国志演義の脚色そのまんまじゃん。
なるほど、三国志演義諸葛亮のキャラクター造形がなぜそうなったのか理解したよ。
みんなの願望が盛り込まれて赤壁の活躍が出来上がったんだね。
あそこで揚げすぎたせいで後半期待に添えない軍師になったが、夢半ばで終わるのもまたよいではないか。
赤壁孔明と現実の孔明、虚実合わさったことで諸葛亮の奥行きが増したと思う。

水から上がると弱い。水属性。
陸属性の騎馬隊はそんなに強いのか。
皇帝が負けるのは致命的だから詭道で進み、戦況が悪化すると撤退するので無駄が多い。
同じノーリスク戦法でも諸葛亮とは性格が異なる。
ただ、蜀との約束は守って足並みを揃えて北伐する。
それが曹叡を動かすことになり、諸葛亮の死で敗走する蜀を司馬懿が追いかけられなかったのだから、陰ながら蜀の滅亡を防いだとも言える。

孫権グッジョブと言いたいが、以後は攻め込むたびに司馬懿が活躍して名声を高めていくんだからゲームバランスの調整役にしかなってないとも読み取れる。

罰を与えるのが好きで伝説の島探しをするロマンチスト。
占いで行動するスピリチュアルなところがある。
絶対上司にしたくないタイプじゃん。
占い師はさぞかし大変だったろう。
皇帝とはそんなものかもしれないが、なぜ孫権だけそこを記述する?
作者の悪意を感じざるを得ない(笑)

諸葛亮が勝てなかったというよりも司馬懿が負けなかった。
防衛の戦いは難しい。
勝利しても戦利品はなく、勝つのは当然で負けは許されない。
その難しさを理解しただけでも曹叡は名君だったと言える。
もちろん司馬懿もその後の公孫淵を見積り通り一年で滅ぼして帰ってきたことを考えれば防衛だけの人ではなかったことが証明される。

魏の絶頂はまさにこの時。
曹叡がまさかの崩御
皇帝が早死にして幼帝が即位して親戚が摂政に。
漢が衰亡したのと同じ経緯で弱体化するのは実に皮肉だ。
曹叡の治世が続いていれば司馬懿はクーデターなど起こさなかったように思うがどうか。
司馬懿は曹芳の諸葛亮にはなれないのか?

この世代交代で司馬懿の将来は絶たれたはずなのに、宮廷闘争の手駒として不死鳥のごとくカムバック。
健康長寿だけでなく運まで味方している。
主人公?だけあってタフだね。
しかもライバルの曹爽は無駄な敗北して転落してくれた。

世代交代は難しい。ほとんどガチャと言って差し支えない。
皇太子選びに時間をかけて曹丕を指名した曹操の眼力が見事だったとしか言えない。
曹丕は賢帝の曹叡を引き当てたが、たまたま運が良かっただけ。
時間がたっぷりあれば曹叡ルートはなかったと思う。

大まかな流れ。

諸葛亮は3年かけて国力を充実させて北伐する。
守る司馬懿は粘り強く戦う。
諸葛亮は本拠地を五丈原に定めて戦うが魏延の攻撃が緩慢で初戦を落とす。

東では蜀の動きに呼応して孫権が動く。
合肥を守る満寵は曹叡の信頼も厚く防衛の巨岩になっていた。
合肥の城を遷して守ったが兵が手薄。
そこで曹叡の援軍を頼んで籠城する。
孫権はまさか曹叡が直接出てくるとは予想しておらず、足早に出てきた先陣を大群だと思い込んで退却した。
取り残された陸遜は絶体絶命の中、慌てて逃げずにむしろ攻めかかると見せかけて怯んだところで退却したので被害を出さなかった。

五丈原で睨む諸葛亮司馬懿
どうしても司馬懿を動かしたかった諸葛亮司馬懿に女物の服を送って挑発した。
司馬懿は激怒したが曹叡合肥の救援で洛陽を離れるため不戦という指令が届いていたので動けない。
さらに睨み合う諸葛亮司馬懿

ここで諸葛亮が体調を崩す。
やがて重篤となると見舞いに来た劉禅の使者に遺言を伝える。
後のことは蔣琬、次には費偉の順に任せて姜維楊儀に補佐させろと伝えた。
遠征は魏延を後詰めとして即時退却せよとした。

ところが魏延は戦うと言ってきかない。
犬猿の仲の楊儀が遺言を書き換えて権力を私物化していると非難する。
退却は既に始まっていたが魏延は騎兵隊の機動力を生かして費偉、楊儀を先回り。
一足先に成都に帰り、劉禅には自分に都合のよい報告をしようと画策する。
費偉、楊儀の蜀軍本体は後ろから襲ってくる司馬懿と行く手を阻む魏延に挟まれて絶体絶命。
反転して死に物狂いで司馬懿と戦う。
司馬懿曹叡から不戦と厳命を受けたが抑えきれない。
不戦を監督する辛毗が司馬懿の前に立ちはだかって退却させる。
魏延は強かったが諸葛亮が国民から愛されていたので彼の遺骸に逆らうことができず逃走。馬岱が追いかけて切り捨てた。
楊儀は憎い魏延には勝利したが出世レースで格下だと思っていた蔣琬に負けて悪口を並べたので左遷され後に死んだ。

曹叡はこの機会に遼東の公孫淵を討伐することにした。
遼東は遠すぎるので反対意見も多かった。
公孫淵に洛陽に出頭するように命じると領地を失うことを恐れて要求を拒否したため戦闘開始。
滅ぼされることはなかったが絶体絶命となった。
追い詰められた公孫淵は虫がいいことに孫権に助けを求めた。
前回裏切られた孫権は腸が煮えくり返る気持ちを抑えて救援を送る。

司馬懿仲達の見積もりでは遼東の制圧には一年が必要。
大変な戦いだったが 諸葛亮と戦った経験がものを言う。
司馬懿は遼東よりさらに東に勢力を伸ばして公孫淵を滅ぼした。
曹叡曹操ですら成し得なかった遼東の制圧成就に喜んだ。
公孫淵を助けると約束した孫権の兵団は間に合わず、多少の魏の兵を襲って奪っただけだ帰ってきた。

大勝利に機嫌を良くした司馬懿だったが帰り道に曹叡からの使いが立て続けに来る。
曹叡は病に倒れていたのだ。
曹叡は自分の子供がおらず養子に迎えた子供もまだ幼かったので才能よりも人柄重視で曹操一族の中から曹宇を摂生に選び、司馬懿が失脚するシナリオだった。
ところが劉放と孫資の2人が病床の曹叡に会い詔の撤回を求めた。
病気で判断力が鈍った曹叡は二人の意見に誠実さを見て曹爽を摂政にして司馬懿を政治の中心に据える。
慌てた曹肇や秦朗は曹叡の元に走って意見を撤回させる。
しかし諦めない孫資は再び曹叡の元に訪れ、手を握って詔を書く。

曹爽は初めは司馬懿を尊重して何でも相談したが決断のスピードが遅くなるし、将来的に対立して邪魔になると考えて司馬懿を遠ざけることにした。
そこで司馬懿には太傅という名誉職に異動させ、領地を増やすなど破格の厚遇をして褒め殺しで実権を奪った。
そして縁故のあるものを呼び寄せたが、彼らは軒並み派手好きで、その割には実力が足りない見せかけだけの人物が多かった。
司馬懿は臍を噛むふりをしながらガラの悪い曹爽を追い出せば英雄になれると内心ほくそ笑んだ。

南では孫権が法律を厳しくして厳罰を下すようになった。
張昭と顧雍は反対したが孫権は聞かなかった。
その空気を読んだのが呂壱だった。
彼は自分の敵になりそうな人物を難癖で孫権にチクった。
孫権は気分良く罰を乱発。人々は呂壱を恐れるようになった。
呂壱の権力が誰よりも大きくなったのを見かねて皇太子の孫登が苦言を呈したがそれも聞かれなかった。
そこで潘濬が 命がけで諌めたことで孫権は我に返る。

呉は度重なる戦争で国力が疲弊して反乱が多かった。
孫権は百姓をいたわるように命じながらも曹叡が死んで幼い皇帝が即位したチャンスを逃せないと北伐を決行した。

呉の朱然は樊城を取り囲んだ。曹仁関羽が激しく戦った場所である。
ここが攻略されると形勢が傾く。
しかし、摂政の曹爽は経験不足で頼りなく呉を撃退できる将軍はいなかった。
そこで干されていた司馬懿を救援に向かわせる。
司馬懿の名声は呉にも轟いている。
それが襲ってくると聞いただけで敵は動揺した。
加えて諸葛瑾が病にかかったので戦うまでもなく瓦解して司馬懿は勝利した。
揚州方面に侵攻した諸葛恪の勢力も激しい戦いの末敗れた。

その頃、諸葛亮から後を託された蔣琬は呉に同調して北伐するが、体調が優れず姜維に少し戦わせただけで撤退した。
戦果は不本意だったが諸葛亮亡き後の存在感を見せた。
後でわかるが呉の北伐は誤報で先に動いたのは蜀だった。

呉では皇太子の孫登が死去して孫和が皇太子になる。
諸葛均が死んで諸葛恪が後を継いだ。
諸葛恪は元気な人で魏に攻め入ることを申し出て許されたので進んだ。
曹爽が動かないので司馬懿が反撃に出た。
両軍がぶつかる寸前、孫権の命令で諸葛恪は陣地を引き払って下がった。
司馬懿は不戦勝となった。

司馬懿の凱旋が面白くないのは曹爽。
蜀の蔣琬が病気だと察知する。
蜀の討伐は父曹真の悲願。
呉との戦いには常に気乗り薄だった曹爽は周囲の反対を押し切って漢中に向かう。
しかし、蜀の中で最も険しい道を選んだため思うように進まない。
膠着状態で後ろを塞がれそうになったので慌てて退却した。
この戦いで曹爽は大敗北して国民からの人気が凋落した。

第11巻に続く。
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