ぺんちゃん日記

食と歴史と IT と。 Web の旅人ぺんじろうが好奇心赴くままに彷徨います 。

ルマンド男子アピールしていたら贅沢ルマンド宇治抹茶カカオを買ってきてくれて感謝

かみさんに度々ルマンドを買ってきてくれとおねだりしていたら、娘からルマンド男子認識されたらしく、変わったルマンドを見つける度にキープしてくれるようになりました。
前回も贅沢ルマンドが入手困難な中コンビニで見かけて買って来てくれました

yasushiito.hatenablog.com


今回は贅沢ルマンド宇治抹茶カカオバージョンを見かけて買ってくれました。
でかした。
こういう情報はネットではなかなか見つからないんだ。

www.bourbon.co.jp


どうやら娘が食べたかっただけのようで、かみさんと一足先に二人で一本ずつ食べたようです。
是非ともルマンド女子となってくれ。
二人の感想は好感触だったようです。
ノーマルの贅沢ルマンドよりも宇治抹茶の方が良いという結論でした。
ノーマルの贅沢ルマンドは本家ルマンドと有意差が感じられず特別感が薄いと前回行ってましたね。
けれども、宇治抹茶カカオには満足感があるんだそうです。
同じ味なら98円で買える古式ゆかしいルマンドの方が安心してパリパリ食べられて良いとのこと。

私の感想は二人とは逆になりました。
抹茶クリームの自己主張が強すぎて贅沢ルマンドの香りが薄められていると感じました。
一回り大きいだけの普通のルマンド といった感じで、こういうスナック感を楽しみたいのなら普通のルマンドでいい。
なんだか観光地で手に入るご当地ルマンドみたいなノリで レギュラーにはなれないかなーという感じ。
ルマンドを抹茶味にしたというよりも、抹茶でルマンドを作ったと言うのが近い。
このニュアンスわかるかな?
抹茶が好きな人には好評だと思います。
横の展開があると言うことは贅沢ルマンドシリーズが好評ということなので受け入れたいです。


天狗ハムを食べたらハム8.6の日だった

嘘はやめてください。
食べたのはハムじゃなくてサラミソーセージ。
おまけに今日は8.7ですよ?

でも天狗ハムをリピートしたのだけは本当。
夏休みだから体験入学があるの。
今回の目的地も北陸方面。
お土産に買ってきたので先日の病院受診の際に受け取りました。

yasushiito.hatenablog.com


安定の美味しさですわ。
お酒が好きな方は是非ともビールと合わせてください。
今年の夏の帰省も見合わせる方が多いかと思われますが、 せめて晩酌だけでも気分を上げて見たいところですね。

私は午後のおやつです。
今日は2本食べました。
スパイスの味を存分に楽しみながら噛み締めました。
満足感。
その他にもいくつかお土産を手に入れたけど 9月中旬までおやつ宝だから無駄遣い厳禁です。


学校の体験の内容は春休みの復習的なもの。
1度体験しているので内容はスイスイだったようです。
なりたいのは CA じゃないけど 食事を配ったり機内アナウンスを体験したり 想い出づくり?に励んでいました。
寮生活になるので具体的な金額の話は出てきますね。
日常生活の 注意点 、雪が降るし田舎だから車がいるしバイト先が限られるしどうすんのかとか留学の話とか先輩からアドバイスをもらったり。
このまま願書を出すことに なるのかな。
英語の方はちゃんと勉強しているようです。
卒業までに英検2級を目指しているようです。
まあ英検の方が英語習得の目安であって実務で要求されるのは TOEIC の方だそうですが。

眺めの会(定期映画鑑賞会)7月下旬 聲の形

結末に納得いかない作品は駄作か。

SNS を見ていると、時々「結末に納得がいかないから駄作」という意見を目にします。
映画にはハッピーエンドとバッドエンド以外にも宙ぶらりんなもやっとした気持ちを抱えたまま終わっていく作品がありますね。
確かに私もそういう作品にぶつかると急にだだっ子になります。
エヴァンゲリオンシリーズとか意味のわからないストーリーにイライラしたし、トイストーリー4も納得いかない展開にケチつけまくってしまいました。


今回選んだのは『聲の形
聴覚障害を持った転校生をいじめた少年が、ある事件を境にいじめられっ子に転落する話だそうです。
障害者をいじめた連中が何の罰も受けずに終わっていくことが許せないので駄作だと言われています。
世の中の人は、作品の中で犯した罪は因果応報が巡って罪状にあった罰を受けるべきだと 考える わけです。
いじめという都合の悪いものをテーマに扱うくらいなんだから、悪人がのうのうと暮らす結末でも不思議はないと思うのですけどね。

私も世間の人並みに勧善懲悪に則らない結末は駄作だと思うかどうか。
試しにこれから見てみます。

視聴プラットフォームは Amazon プライムビデオ。
プライム会員は視聴できます。
有料コンテンツです。

年齢レーティングはありませんが、いじめや自殺未遂の場面が出るのでトラウマを抱えた人はご注意ください。

聲の形

2016年に公開された日本の長編アニメ映画。
原作は同名の漫画で、 聴覚障害を持つ少女を中心に巻き起こる問題を描いた作品。
監督は山田尚子
脚本は古田玲子。
原作は大今良時
声の出演は 入野自由早見沙織
上映時間は129分で言語は日本語。


あらすじ。

小学6年の石田将也のクラスに 転校してきたのは聴覚障害を持つ少女西宮硝子。
はじめは好奇心を持って迎え入れたクラスメイトと石田だったが、 合唱コンクールで足を引っ張るなど協調作業の面で足並みが乱すことを理由に いじめと発展していく。
いじめは徐々にエスカレートしていき、高額な補聴器を壊したことから学校全体の問題へと発展して行く。
そこで最も積極的にいじめを行っていた石田がクラスメイトの裏切りの証言に遭い一人責任を背負わされていじめられる側に転落する。

コミック版のセット買いです。

見終わった感想ネタバレ含む。

確かにケチをつけたくなるが駄作ではない。

これの感想を書くのはきついなあ。
小中学生の頃に授業でこれを見せられて感想文を書かされてたら軽く死んでいましたわ。
自分の内面に押し込んだ都合の悪い感情が無理やり白日の元に晒されるのですから。
学校の教室という誰もが体験したことがある空間を舞台としているため、自分のパーソナリティに近い登場人物がいてそちらに感情移入してしまうために過去の体験を思い出して激しいストレスを感じました。
障害者をいじめる残酷さよりも記憶のかさぶたをひっぺがされることが見るに堪えない。
駄作と切り捨てて自分の過去から逃げ出したくなる気持ちも分かります。
どれだけケチをつけたところで自分の過去がなくなるわけじゃないんですけどね。
人間のダメなところを丁寧に描けていたと思いますよ。

正当な評価は原作を読んでからするべきかもしれません。
アニメ化にあたって原作が持つ繊細なニュアンスや意味合いが変わっているかもしれませんし。
正直申しますとガキ大将がいじめられっ子に転落する様を見たことがないので、にわかには信じられないし、ましてやそれで深く反省して他人の痛みを推し量れるような人格に変わることも想像できないのですよ。
恋愛要素が相まってデオドラントされた人間に思えたことも記しておきます。
高校生くらいになると悪意を持って他人を動かすテクニックを身につけた人が出てくることを思えば、彼らはなんだかんだでいいやつだったですね。

異物同士のぶつかり合い。

転入してきた異物が障害者だったことで"障害"という分かりやすい問題点に引っ張られてしまいますが、これは障害があるないにかかわらず、人間関係のバランスを崩す異物が入ってきたことに対してどうやって折り合いをつけるかという話ですよね。
小学生なりに受け入れようと努力して、できなくて 、元通りにもできなくて、人生はどんどん次のステージに進んでいき、取り返しのつかないこともありましたが 5年間悩み苦しんだ成長の姿を見見せてくれました。
絶望の高校生活で永束に誘われて 映画を見た後のファーストフード店での下りはみずみずしかったですね。
誰でも経験するありふれた体験ではあるのですが、それがかけがえのない青春の1ページだと気づかせてくれました。
女子とのデートだけが青春じゃないんだね。
私と一緒に映画に行ってくれた友人達に感謝したくなりました。
みんなで遊園地に行った場面も、その体験をしてこなかった私には刺さりませんでしたが、多くの人の心に刺さっただろうと思います。
仲良しグループの中に一人、顔にペケがつく苦手な子がいるところもありがち。
友達の友達だから敬意は払うけど、本音では近づきたくないという関係はままありますよね。
小さいところでチクッと刺してきた。
自分をいじめた相手を許せるか許せないかという話になりがちですが、 こうやっておっかなびっくりながらも少しずつ間合いを詰めて乗り越えていくしかないんでしょうなあ。

共同作業は両刃の剣。

理解できない相手との軋轢は大人の社会にも潜んでいますので自分事として捉えることは可能でしょう。
職場でもノルマをクリアできなくて疎まれるケースは当たり前過ぎる光景です。
集団の中でノルマを与えて共同作業するのは難易度高い。
難しいんだけど成功した時の達成感が大きいので学校生活に適合できる人ほどやりたがる。
学校はみんなで力を合わせてできない人をフォローしろと簡単に指示しますが、フォローされる人の悔しさとかフォローする側の疲労感については大してケアしてくれないんですよね。
話の構造だけ見ると残念ながら西宮お集団から排除してストレスのない距離感においやったことで受け入れられるようになった。
あの少年少女たち、事件を通過して小学生から高校生へと成長したから一緒に遊べる程度の関係を築けるようになったように見えますが、 お互いの理解は小学生の時からほとんど進めておらず、再び同じ集団に混じって仕事などの作業をやることになったら足手まといに感じて排除してしまうのではないでしょうか。
通常学級に割り込んでこないで障害学級に入れば 起きなかったトラブルってことかい。
西宮は聴覚障害という診断が下りて分かりやすいから 目立つけど、石田も 相手の気持ちを想像できずに人間関係を適切に構築できない、いわゆるコミュ障なわけですよ。
授業を妨害している時点で共同作業に支障をきたしている。
でも石田は障害じゃないからノーサポートなんだね。
その他にも可視化されづらい問題として家庭環境の複雑さ。
西宮と石田の父親が全く描かれておらず、特に言及はされてないがシングルマザーという環境でもあります。
教室の中だけで犯人探しをするのは簡単だけど、描いてあることよりも描いてないことの方が問題の根が深いわけで、子供だけに責任を押し付けるのは残酷だよ。

障害者として何かコメントしなきゃダメ?

自分の周りには言語障害者はいても聴覚障害者はいないので特にコメントできる立場ではないのですけどね。
障害をテーマに扱った作品の割には西宮のキャラクター造形が美化されすぎていて、 障害者を描くにあたってこんなにオブラートに包まないと危なっかしくて触れないのかと思うと暗鬱たる気持ちになりました。
作品が描かれた時代が少しばかり前ではあるものの、未だにこんな描きかたなんだと まだまだなんだなと思いました。
西宮は障害者クラスターの中でいるなら人間偏差値70は超えるだろうスーパーエリートですから、これが普通の障害者だと思ってもらっては困ります。
いくら障害者が遠い存在だからといって、スタンダードな障害者が健気に頑張らないことは世間の人は知っています。
障害のあり方は人それぞれ、パーソナリティーは十人十色、当たり前の話ですが 障害者にも十分すぎるほど強い個性がありますからね。
西宮の友達として、彼女とは性格が正反対の別の障害者を登場させれば対比が聞いて良かったかもしれませんね。


結局グチグチ言ってしまった。

なんだかんだでケチをつけてしまいましたが、議論を呼ぶということは人の心のデリケートなところを揺らしておきながら余白が多くて想像で埋めるしか手段がないということなんだと思います。
細部まで論理的に説明されていたら議論の余地もなく各自で納得するよりなかったのではないかと。
伝えるのが苦手な聴覚障害者が主人公で多くを語らなかったところが議論が荒れる要因なのでしょう。
理解しようとする態度。
それこそがコミュニケーションの第一歩なのだと思います。

だからといって私が粘り強く対話するようになるかと言うとそうでもない。
最近、わかんないものはわかんないものとして受け入れることができるようになってきました。
屁理屈をこねて無理矢理解釈しなくても なんとなく受け入れればええやん。
ちなみに私は西宮が何を考えているのか最後までわからず、飛び降りた理由も思春期特有の少女の不安定な気持ちとしか消化できてません。
西宮の妹だって自分が撮った写真が原因だと受け取ったので私が理解できなくてもセーフ?
でも話の結論は過去の悲しみは乗り越えていくしかないという方向に向かいつつあったのに、 自殺で解決しようというのは安直すぎる。
読者たちに何かを伝えたかったとしても、 もうちょっとあっただろうと思わんでもなしです。

コロナワクチン第1回接種終わる

生きてこの日を迎えることができました。
効果があると言われる2回目接種してから2週間を迎えるまでは一か月以上ありますが、スタートラインには行けたかなと。

摂取そのものは非常にスピーディーに終わりました。
噂通り針の痛みはほとんどなく、注入するときも何か入ってるな程度の感触でした。
接種後所々ひんやりした感触があったかな。
お医者様は私の腕を見て筋肉なさすぎて打つ場所に戸惑ったようでした。
腕には打つ場所がないので肩に近い部分で行きました。
終わったら15分間待機して様子を見ます。
一日中車椅子の存在だから、普段と何ら変わりない。
そして、どっちみち腕を動かせない体なので肩が上がらないなどの症状は無し。

そういえばファイザーかモデルナか聞いてないわ。
聞いたところで選べるわけでなし、供給されてきたものを打つだけだ。
こういうところでビクつくのはあまり良くない。

後は 5Gのカバー地域に入るのを待つだけです。

俺の夏、終わる - 土用丑の話

今日の昼食うなぎの最後の一口を飲み込み終わると、試合終了のサイレンが心の中で鳴り響き、私の夏が終わりました。
1年に1度の土用の丑の日が終わったのです。
またうなぎの絶滅に力を貸してしまった。
背徳感と満足感に打ちひしがれながらこれを書いています。

今年のうなぎは例年よりも一つは大きいです。
一切れがこんな巨大なうなぎはこれまで見たことがない。
これが今年のウナギの特徴が。
去年のコロナの騒ぎで出荷できなかった奴らが1年越しに出てきたのでしょうか?
飼育期間を延ばしても一切れが大きくなって満足感を増やせば コスパが良くなります。
それにしては身が柔らかく皮も分厚くなってない。
何らかの養殖技術の発展があったのかもしれません。
もしくは調理技術の革命。
鰻って焼くとすごい勢いで縮みますからね。
でもこれは一度調べてみる価値はあります。
そこでググってみると、やはり養殖技術に発展があったようです。

www.pref.aichi.jp


なるほど餌の改良で大型化できるようになったんですね。
餌を調整することで身の硬いオスではなく柔らかいメスになるのだとか。
さりげなく重要なことが書いてあるんですけど、メスになるんだったら完全養殖できないのかしら。

いずれにせよ、消費者としては大きくて美味しいうなぎが食べられることに越したことはありませんので大歓迎です。
もう私の楽しみは何もなくなってしまったので明日のコロナワクチンどうでもよくなったわ。

ラーメンの残り汁を捨てるのって不思議と罪悪感あるよね

ラーメンの残り汁を捨てる時に罪悪感があることに不思議さを感じていました。
煮魚の汁とか余ったカレーとか平気で捨てるのに、なぜかラーメンの汁だけは後ろめたいのです。
特にカップ麺が強い。
この感覚はなんだろう?
ラーメンは悪いものという先入観でもあるのでしょうか。
体に悪いものを自然に流すのはもっと悪い気がするのでしょうかね。
昔の職場の上司はトイレに流していて衝撃を受けました。
この感覚はどうも私だけではないらしい。
そんな心のわだかまりをなかったことにしてくれるのが カップヌードル残ったスープ固めるパウダーです。
ズバリそのものの名前ですね。
カップヌードルの日清のキャンペーンで配布していたものです。
残念ながら非売品で現在入手不可能。
とても人気だったようです。
小林製薬みたいなネーミングセンスだなと思ったらきっちりコラボしてました。

天ぷら油を固める粉のようなもので、食べ終わった汁にサラサラ流して放置しておくとぷるぷるに固まると言った性質。

https://www.youtube.com/watch?v=43ls4yUiu6Y
カップヌードル 残ったスープ固めるパウダー「汗ばむ季節 篇」


結局ゴミが出ることには変わりないので 罪悪感が軽減されるという気分の問題にお金を払うこととなります。

アウトドアに便利なのは間違いない。
青空の下で食べるカップヌードルは無性においしいんだもん。
日が落ちて肌寒くなって来てからの出前一丁もうまいんだ。
自分なんてそれが食べたくてラーメン持って夜釣りに行ったもんね。
ただその時も残り汁の問題に悩みました。
さすがに目の前でダイレクトに自然に返すのは心が痛い。
特に植物がある所に塩分のあるものを捨てるのは気が引けます。
結局家で流しに捨てたところで下水から海に行くのですけど。
我ながら意味がわからない。
絶対飲み干すという強い気持ちで出かけて、薄っすら残った汁は古新聞に吸収させてゴミとして持って帰りました。
友人と行くときは蓋付きのバケツをもって自宅に持ち帰って処理したり。

オフィスの流しに捨てるのも躊躇うんですよね。
これは環境面というよりもネギなどの細かな具材が流しのゴミになってしまうことが問題。
オフィスの場所によってはよその会社と共有することもあるのでさすがに気まずい。


ゲル状に固めてしまえばこれらの段取りを綺麗に解決できます。
ゴミ袋に捨てて生ゴミとして処理できますからね。
水分だけなら吸水ポリマーで固められるかと思いますが、ラーメンの汁は油が入っているので どこまで固めてくれるかわからない。
探してみると Amazon に類似品が見つかります。

結局のところ吸水ポリマー。
消臭剤などが入っていて水分以外の悩みの諸々の解決までしてくれます。
オムツに入っている吸水パッドの技術の転用ということですね。
アウトドアの機会の多い季節でもありますので気になる方は試してみてはいかがでしょうか。

カルチャー感度が高い人はロマンチスト

どうも、カルチャー偏差値2のアラフィフおじさんです。

最近耳にした映画の感想の中で引っかかりを覚えることがあったのでメモ書きします。

「何の事前情報もなく映画館にぶらりと入ったら面白かった」
という話と。
「劇場版でエヴァンゲリオンに初めて遭遇した人が羨ましい」
という話です。

前者は音楽の作品だったので、音楽に興味がない人にとっては演奏されている楽曲の意味がわからないのだけど、それでも楽しかったという感想。
それが音楽に造詣が深い人から見れば「あの音に先入観なしで出会える感動が羨ましい」という流れでした。

その話はそれで円満解決だったわけですが、私には少し引っかかりました。
音楽に興味がいない人は音に対する感受性が低いので音楽好きが受ける衝撃とは全く違うと思うんですよね。
ララランドを見た時もいい作品だったなとは思いつつ引用される音楽の意味わからなかったし。
何も知らない人に初体験を与えて絶頂を感じさせたいなんて、なんだか処女信仰みたいだな と思ってみたり。
もちろんそれを期待する気持ちも分かりますが、 無知の人に好事家が感じる100%の 脳内エクスタシーを受けていると想像するのは先走りすぎじゃないでしょうか。
当たり障りのない言い方をするならロマンってやつですね。

暇だから偶然立ち寄った映画が面白いというのも、ロマンの一つ。
いわゆる運命の出会いってやつ。
終電を逃してたまたま知り合った相手が たまたま趣味ばっちりだったというのに通じる。
話を総合しちゃうと、運命の相手に初体験の衝撃を与えたいといういやらしい話になっちゃいました。

後者のエヴァの話も 初めての悦びを 羨ましがっている形ですよね。

私は今年に入って劇場版でエヴァに遭遇しましたが、きっと期待するような衝撃は受けていないと思います。
むしろエヴァよりも先にエヴァのオマージュを見ていて 衝撃が損なわれていると思います。
現代と90年代半ばでは倫理観も違うので笑うべきところで笑えなかったりエッチなところで不謹慎さにイラッとしたり余計な雑念が入ってたように思います。
私が思うエヴァの最高体験は、90年代後半に中高生で見ることです。
まあそれでも、私がその世代を羨ましいかと言うとそうでもなく、我々にはガンダムドラクエがあるので 各自が最高体験を味わっているのだと思います。


私はカルチャー感度が低すぎてなんでも俯瞰して見てしまうので、感受性が高い人が受けるロマンが羨ましくて。
損得にとらわれず純粋に面白いを探求できる人って凄いわ。