ぺんちゃん日記

食と歴史と IT と。 Web の旅人ぺんじろうが好奇心赴くままに彷徨います 。

眺めの会(映画鑑賞会) 2月上旬 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

一生見ない宣言を覆した。

眺めの会は一週間遅れです。
先週は心と体が絶不調、コロナ鬱になりかけて、どうしても意欲がわかず、このまま眺めの会からフェードアウトしようかとすら思いました。
なんとか調子は持ち直し、再開となります。

今回のタイトルは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
実は私、エヴァンゲリオン1秒も見たことがありません。
むしろ一生見ない宣言を出すほど避けて通ってきました。
社会現象になるほどの作品に背を向けるなんて全く無駄な抵抗、時間の問題でいつか誰かの付き合いで見る羽目になるとわかっていても、かたくなに「俺エヴァンゲリオンだけは見ないから」と言い張ってました。
なんでそんな意固地になったかと言うと、エヴァンゲリオンをきっかけに世の中の空気が 「みんなアニメ見てるよね?」と手のひらを返したのが納得がいかなくてむしゃくしゃしたからです。
なんだよお前ら、カラオケでアニソンなんて非常識とか言ってたのに、なんでエヴァだけはセーフなんだよ、その線引きマジで意味わかんねーし、いい年してアニメに熱中なんて恥ずかしいとかディスりながら自分も陰でこっそり見ていたんじゃねえか。
俺は見ねえし、俺は絶対に見ねえし!お前らいい年してガキっぽいアニメ何かに夢中になってんじゃねーよ!バーカバーカ。
てな具合です。
まあさすがに50歳を迎えて穏やかになったと言うか、そんな肩肘張らなくても受け入れられている時代になったのだから、意地を張って見ない方が恥ずかしくなってきました。
噂ではついに完結したらしいですし、 ちょうど良いタイミングでないかと思いました。



今回の視聴プラットホームは Amazon プライムビデオです。
一般ユーザーは有料。プライム会員特典で無料で視聴できます。
全年齢対象だし、字幕吹き替えの選択もないので間違いはないですね。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

2007年に公開された日本のアニメーション映画。
アニメシリーズ、『新世紀エヴァンゲリオン』のリメイク作品として劇場版4部作として作成されたシリーズの第一作。
総監督は庵野秀明で監督は摩砂雪
脚本・原作は庵野秀明
声の出演は緒方恵美林原めぐみ三石琴乃など。
上映時間は98分で言語は日本語。

あらすじ。

セカンドインパクトによって世界人口の半分を失った人類。
少年碇シンジは 非公開組織・ 特務機関 nerv の総司令である父の碇ゲンドウの命令で大型人型兵器エヴァンゲリオンパイロットとなって、襲来する謎の敵「使徒」と戦うこととなる。


見終わった感想。

ロボットアニメのかっこいいところが全部詰まってる。

最高にクールですね!
こんなおじさんになっても、エヴァが初めて起動する時はやっぱりワクワクしました。
いよいよ動くぞ、と感じた瞬間から少し焦らしてくるところが憎いね。
お約束通り、いきなり実戦投入されて思うように操れずに大ピンチ、苦戦しながら不思議な勝利を収める筋書きに大満足。
炎の中でゆらゆらと歩くエヴァの姿は誰が見ても巨神兵ですよね?
ナウシカと話が繋がってるんだと想像するだけでおじさんはまた興奮。
そしてクライマックスのヤシマ作戦
僕も私も微力ながら作戦に協力しているって想像できるの、良いですね。
ヤシマ作戦という名前だけは SNS などで度々目にしてきましたが、話の出典がエヴァンゲリオンで、このような作戦内容であることをやっと理解しました。
作戦遂行時、早口で電力関係のことを伝達していますが、きっと SF マニアがリアリティを詰めまくって理論的には達成可能な攻撃なんでしょうね。
何もかも大興奮、というわけではなく、おじさんにとってアップデートが必要なところもありました。
エヴァ初号機のデザインはちょっとロボットらしくない、と言うか私のロボット体験が古すぎる。
今時のロボットは昔のように四角く鈍重ではなくて、生物らしく機敏に動くんだ。
操作体系についてもレバーやペダルの妙な物理操作はもう古い。
意識をシンクロさせて伝達した方が絶対早い、だからこそ激しい格闘が可能なんだ。
とはいえ、こんなに激しく動き回ったらコクピット内のパイロットは常にむち打ちで大変だと思うんだけど、どんな構造になってるんでしょ?
本物らしさにはこだわっていて、機体が破壊されたケースを想定して脱出カプセルが用意されているところと、実際の射出の様子が描かれているところが良かったですね。ただ飛び出るだけではなく、ちゃんと安全な場所まで到達できるような激しい勢いでの排出であることはよくわかりました。
使徒のデザインはどちらかといえば生物よりで、ロボット対決というよりは怪獣対決。
エヴァ初号機が雄叫びをあげるところでギョッとしました。
そうか、ロボットも声を出していいんだ。

エヴァンゲリオン、トータルでの結論は開始10分ですでに面白く、「見ない」と意地を張ってたのアホですよねそうですよね、となったわけですが、それ以上に痛かったのは庵野秀明作品の系譜として見る順番を間違えたこと。
シン・ゴジラを先に見ちゃってるので、あれやこれやのかっこいい場面が既に体験済みになっていてインパクトが薄かったのが残念。

男子の心わかってる。

巨大な建造物というだけでドキドキするのに、それが動くんですから大はしゃぎです。男子の心わかってますわ。
町まるごと地下に潜るなんてどういうこと?
しかも結構動きが早くありません?ビルの地盤、この揺れに耐えられるのかな?衝撃を逃がす技術があるとしてもビルの中の人、ぐにゃぐにゃぐらぐらしてすっごい怖いと思います。
出撃の際にドックの作業所が変形しながら撤収していくのもかっこいい、そして動きがキリキリしてる。
林立するクレーン、動き回る重機、電柱と鉄塔そして電線、どいつもこいつも「分かってんな」
弾幕暑いし、火力も高い。
人によってはナイフによる近接攻撃、ライフルで長距離から射撃とか、 AT フィールドとか、それぞれツボは違えども男子が喜ぶ展開がてんこ盛りでお腹いっぱいになりました。

男子の心わかってる(本丸)。

男子にとってのサービスシーン、スケベタイムをたくさん用意してました。
物語の進行が、 メカ→スケベ→バトル→メカ→スケベ→バトルの繰り返し。
アニメ放送の山場を劇場版向けの尺に合わせてキュッと圧縮しているからでしょうか、 ハイカロリーのサービスの連続。
男子が思う存分、性的な眼差しを発揮できる作品になっておりました。
バンザーイ。
さすがに五十歳の枯れたおじさんでは思春期ほどのムラムラは沸き起こりませんでしたが、中高生の時に見たらムハムハだったでしょうね。
ラッキースケベのおっぱいタッチのところは理性が飛ばなかったシンジを褒めてあげたい………と言いたいところですが、話の筋で言えば綾波レイって妹なんですよね?
ウム、そういう楽しみ方もあるか。
直接的なヌードもたくさん出てきますが、どちらかと言うと直接なところよりも、下着姿とか着替えの方が興奮するのかもしれない。
青少年にとってのエッチは着替えと水着が限界ですよね。
映像作品でもなければ人の着替えをじろじろ見ることなんてありませんもんね。
まあそれを知ってか知らずか、脱ぎ散らかすところとか雑に身にまとうところを丹念に描写してるんですわ。
こういう適当なしぐさがかえってリアリティを増すというものです。
こんな刺激的な内容ながら対応年齢が全年齢なんだから、世界よこれが日本だといったところです。
でもこれを家族で見るのは気まずいのでは?サスペンスドラマの濡れ場では子供がそわそわしたものだけど、これは親の方がばつが悪いわ。

ストーリーはよくわからん。

物語がまだ序盤だから各キャラクターが深掘りできてないところもありますが、作者が碇シンジの生き様を通じて何を伝えようとしていたのか、よく分かりません。
襲来する使徒エヴァンゲリオンで倒せというミッションは分かるのですが、人間関係の描写が浅い。
学校生活の様子など全然わからん。
まあ碇シンジが内向的で何でも自己完結させてしまう人柄だから、他人に興味がなくて希薄な学校生活だということかもしれませんが、それにしてもミサトお姉さんもちょっとエッチなお姉さん以外の役割しか果たせていないように思いました。
非常にゲーム的と言うか、アクションゲーム+ストーリーモードのような体験でした。
そういうのを期待する作品じゃないことは監督の名前見れば分かるだろ、素人は黙っとれっていうことですね。
ストーリーについては完結までおとなしくしています。
野暮なツッコミなんて入れなくても期待通りに面白かったです。

見ればいいと思うよ。

『御伽草子(太宰治)』の感想

ラジオドラマで聞く昔話。

先日 、ラジオ番組の『文学の扉』で太宰治の『御伽草子』から『浦島太郎』がやっていました。
この当時の文豪たちは昔話をモチーフにして、当時の価値観も組み合わせて文豪なりの解釈で盛んにお話を書いていました。
桃太郎、さるかに合戦程度は読んでいましたが、浦島太郎までは手が回っていませんでした。
そして先日聞いたラジオドラマ『浦島太郎』
ラジオドラマとして編集を加えられても、それでもなお面白かった。

本で読む太宰版浦島太郎。

原作が読みたくて調べてみると、青空文庫に収録されていますが、 Kindle 版が出ていて、しかも無料。

www.aozora.gr.jp


お伽草紙

お伽草紙


Kindle 版を選択しないわけがありません。
この本には浦島太郎の他にも、こぶとりじいさん、かちかち山、舌切り雀が収録されています。
全て短編なので、各エピソード、文体が少々古くてつっかかるところもあるかもしれませんが、それでも1時間もかからないで読めると思います。


太宰治作品らしく、浦島太郎もどこかこじらせためんどくさいおじさんでした。
文化人きどりの太郎は、「雅」とか「風流」のような高貴な人の立ち居振る舞いや価値観を自分なりに解釈して実践しているわけですが、世間の人たちはそれを「冒険心がない」などとやかましく批評して来るからうんざりしています。
世俗の人にとって、高貴な人の暮らしぶりとは、毎日酒を飲み、豪奢な料理に舌鼓を打ち、音を奏で踊りをまい、賑やかに過ごすことだと考えていますが、 太郎が考える高貴な振る舞いとは真逆の方向で、分かっていない人たちが分からないまま相手を評価する俗世の噂話にうんざりといったところです。
小難しい理屈をこね回す太郎に対して、おしゃべりな亀がツッコミを入れながら、「批評の全くない竜宮城という世界がある」と囁いて竜宮城へと誘い込みます。
誘い込む掛け合いの辺りはテンポが良くて気持ちいい。

太宰の想像する竜宮城は、我々が伝え聞くような鯛やヒラメの舞い踊りと美しい乙姫様の接待とはかけ離れていて、無限の宇宙のような幻想的かつ広大な世界です。
自由すぎて凡人なら持て余すような場所でした。
乙姫様もあっさりした人で、太郎が招いてくれたことを挨拶すると、軽く会釈をしただけで自分の日常に戻ってしまいます。
太郎は亀の案内で焼き鳥の味のする海藻を食べ、 ほろりと酔えるしずくを飲んで、我が家のように好き勝手に暮らします。
それは確かに亀の言うとおり、批評の全くない自由な世界でした。
しかし人間とは不思議なもので、太郎は他人の批評とか噂話にはうんざりしているにも関わらず、いざ、それのない世界に入ってみると寂しくて、やかましい俗世に帰りたくなってしまいました。
現代社会の SNS にも通じて、とても共感しますね。

太郎がいとまごいすると乙姫は引き止めることもなく、名残惜しむことなく、そっけなく貝を渡します。
これが玉手箱と言われるものです。
浦島太郎の最大の謎、玉手箱。
伝え聞くところでは乙姫様は開けてはいけないと言いながら渡しますが、太宰治は乙姫様は何も言わずに渡して、亀の助言で開けない方が良いと言うことになっていました。
まあいずれにせよ、開けてしまうとおじいさんになってしまうという意地悪なところなのですが、太宰治は乙姫の残酷な仕打ちを「年月は人間の救いであり、忘却は人間の救いである」と結論づけます。
つまり、おじいさんになった姿を想像して、我々は不幸になったと考えますが、それは我々の価値観であって、実際は太郎は少しも不幸ではなかったということです。
もし太郎が地上の世界に戻って幸せになって毎日楽しく過ごしていたかったら、竜宮城のことなどすっかり忘れ、玉手箱のことも気にならなくなるはずです。
それなのに玉手箱を開けてしまったということは、竜宮城のことを忘れられず、懐かしんで戻りたいという強い気持ちがあったからだろうと想像します。
おじいさんになってしまえば、過去の記憶をなくすか、遠い思い出になって懐かしさに昇華してしまうということです。
現代の価値観と比べても古さを感じない解釈だと思いました。

刺さったところ。

昔話のミステリー部分に意地悪なツッコミを入れながら人間のどうしようもない本質に切り込んでくるところが憎いです。
1番えぐられたのは、'浦島太郎が亀を助けたのが欺瞞である'と亀が食ってかかるところです。
部分的に引用します。

あなたが私を助けてくれたのは、私が亀で、そうして、いじめている相手は子供だったからでしょう。
亀と子供じゃ、その間に入って仲裁しても、後腐れがありませんからね。

あの時の相手が亀と子供でなく、例えば荒くれた漁師が病気の乞食をいじめているのだったら、あなたは5文はおろか1文だって出さず、いや、ただ顔をしかめて急ぎ足で通り過ぎたに違いないんだ。

私にも覚えがあります。
確かに気まぐれに親切にするときは大抵後腐れのない相手ですわ。
身近な人ほど、気まぐれな施しはやりづらいですわ。
同じように、打算などない親切を施してくれるのは 適度な距離感の相手だったりもします。
そして、'私とあなた'の一対一で解決できる状況のみ。
粘り強い折衝を必要としたり、人間関係がこじれるようなトラブルに巻き込まれそうな揉め事には関わり合いたくありません。
まあそりゃあ柄の悪そうなおっさん同士の小競り合いを仲裁するほどお節介な人もなかなかおりませんって。
人間が振りかざす正義感ってそんなもんですわ。

他の話も面白かった。

この本には他にも、こぶとりじいさん、かちかち山、 舌切り雀が収録されています。

かちかち山なんかはお勧めです。
モテない男性の被害者意識と無自覚な加害行為のせめぎ合いが痛すぎて滑稽です。
私にも狸的行為に身に覚えありますわ。
キモくてごめんね。


最後にこの話を読むきっかけを作ってくれたラジオ番組「文学の扉」を紹介しておきます。

www.tbsradio.jp

漫画を読む 9で割れ!(矢口高雄)

昨年に矢口高雄先生が亡くなられ、様々なメディアで特集が組まれました。
矢口高雄といえばもちろん釣りキチ三平
子供の頃に読んだしアニメも見ました。
ちゃっかり影響を受けて釣竿を買ってもらい、近所の池に行ったり海に連れて行ってもらったりして釣りを楽しみました。

思い出は強く残ってはいるものの、全巻大人買いして通読するほどの熱量と資金力はさすがになくて、もう少し読みやすい作品を探してみたところ、『9で割れ!』という作品が私にぴったりだと思いました。
特集が組まれた直後に一巻だけ衝動買いしながらも、忙しくて読む時間を確保できませんでしたが、やっと読んでみようという気になったらスルッと全4巻通読してしまいました。


この作品は矢口高雄が漫画家になるまでの青春の軌跡を描いた自伝漫画です。
矢口高雄は漫画家としては遅咲きで29歳までは銀行員として働きながら、夜中に寸暇を惜しんで執筆し、短編を投稿する二足のわらじ生活でしたが、一念発起して上京してプロデビューしたという経歴の持ち主です。
当然エピソードは銀行で働いていた時の思い出が中心です。
9で割れというタイトルも銀行員時代に覚えた銀行業界の格言から来ています。
計算ミスで集計が合わなかった時の合言葉が「9で割れ」
コンピュータの伝票も計算機もない時代、手書きの伝票をそろばんで弾いて処理すると、計算ミスで桁を間違えることがあります。
そんな時に全ての数字を9で割ると、桁数を間違えた項目が分かるというテクニックです。

話の出だしは高校を卒業して新卒として銀行に入行した頃から仕事を覚えていくまでのエピソードが中心です。
もちろん、銀行員時代だけでなく、幼少期から青春期まで、時間を言ったり来たりしながら1エピソードずつ進んでいきます。
その進み方も漫画家らしい進め方で、ひとつのエピソードの中に必ず山があってオチが付いて余韻が残って終わります。

昭和30年代の世の中の空気とか価値観が垣間見れて 昭和戦後の風俗史としても面白いと思います。
2巻では味噌が嫌いになったエピソードとして弟の育児の手伝いをした話がありますが、 「日本残酷物語」で読んだ東北地方の辛い子育て事情と全く同じで、あれはやはり日常的な話だったのだなと思うと辛くて仕方なかったです。
4巻の般若になったお母さんの話のおっかないことと言ったら。


そして矢口高雄といえばやっぱり釣り。
もちろん本人も大変は釣りマニアで、釣りと共に生きてきたのですから、自伝にも釣りは出てきます。
長年釣り漫画を書き続けてきたということもあって、人物の躍動感が素晴らしい。
アタリの瞬間とか、ひいている時の手応えが伝わってくるような表現で、読んでいるだけでワクワクします。
竿のしなりの柔らかさがこんな風に描けるというのが驚きです。
釣り人と長い竿の先の様子を同時に描くための紙面の有効な使い方がとてもユニークでした。
第3巻の鮎釣り大会での活躍は痛快でした。
まあこの辺は矢口作品を呼ぶにあたっては当たり前の事なんでしょうけど、知らない人が見ても一目でわかると思いますよ。


作品を通して分かるのは、矢口高雄先生の実直な人柄です。
銀行員なんだから誠実でなければ務まりませんが、一コマの隅っこまで手を抜くことなく丁寧に描ききる仕事ぶりが伝わってきます。
そして4巻で描かれる漫画に対する情熱。
毎日のように深夜まで及ぶ仕事こなしながらもペンを休ませることなく、時には夜を通して原稿に向かったひたむきさには心を打たれました。
漫画雑誌ガロの編集長から絵が下手だとキツイ一撃をお見舞いされながらも立ち上がってゲゲゲの鬼太郎水木しげるの仕事場を訪れてプロの仕事ぶりを見、才能ある若手の助言を聞くところもまっすぐでした。
29歳からでもデビューできるのだということを若い漫画家たちに伝えたくて送ったエールなのかなと思いました。

三国志を読み返す 宮城谷昌光・三国志 第1巻の感想

やっと第1巻を読み終えました。

感想文を書くために各エピソードを拾い上げていたら、長くなりすぎて、下書き全部捨ててしまいました。
1ヶ月もかけてちまちままとめたのに(泣)。
こんなペースで全12巻の感想文を書いてもしんどいだけで面白くないのでしゃーない。

紹介しているのは Kindle 版の全巻まとめたタイプです。

こんなところから始まるのか。

三国志といえば一般的には三国志演義のことを指すかと思います。
その三国志演義黄巾の乱から始まります。
しかし、この宮城谷昌光三国志黄巾の乱からさらに80年遡ったところから始まります。
第一巻を終わりまで読みましたが、曹操がいまだに産声をあげていない時代で終わりました。
我々にとっての三国志のイメージとは程遠く、漢王朝が衰退していく姿を眺める「後漢物語」でした。
このままのペースで読み続けたら曹操よりも霊帝献帝の方に感情移入してしまいそうなくらい皇帝がおもちゃにされていました。
国盗り物語ならぬ、国盗られ物語かよ。

果たしてこれを三国志と呼んでよいのか?
賛否両論あると思うので、否と思う方は黄巾の乱が始まる第2巻終わりか、第3巻から読み始めてばよろしいかと思います。
歴史ものに区切りはありませんからね。

もちろん、三国志を名乗るからには三国志演義の登場人物と接点がないわけにはいきません。
三国時代を動かした中心人物、曹操の祖父の曹騰が生まれた頃を起点としています。

三国志らしい手応えはありませんが、漢時代の風を感じることができる一冊でした。

どんな時代だったか。

後漢王朝は用意周到な皇位継承が実現できず、皇帝の力が発揮できませんでした。
皇太子が幼いまま皇帝が崩御するので後見人なしでは政治を行えなかったのです。
その成り行きは下の方でまとめるとして、皇帝に身近な人たちに権力に付け入る隙を与えてしまったことで衰退していきます。

皇帝に身近な人とは外戚と呼ばれる妻、母、伯父、他宦官、養母などです。
宮廷闘争といえば宦官が悪者にされがちですが、皇帝のために力を尽くした宦官も存在はしていて、外戚の悪行に悩まされる毎に宦官の権力が相談してきました。
曹操の祖父の曹騰もその流れに乗った一人です。

外戚と宦官の権力闘争、それが後漢王朝です。
外戚何進大将軍が十常侍を打ち倒した事件の構図が分かります。


文化的には儒教が盛んです。
漢王朝はクーデターにより一度途切れた後、光武帝によって建て直されています。
ここで社会の基本を儒教とします。
儒教の親孝行や忠義で下克上を防ごうとしたということですね。
優秀な人材を発掘する'秀才'、徳の高い行いを積み上げた'孝廉'によって全国から英傑が集められましたが、どちらかといえば孝廉に重きが置かれました。
その集大成ともいえるのが楊震
学者としての名も高く、 秀才として推挙されましたが、人生をかけて儒教に打ち込んだ清廉さは国民からの高い支持を得ました。
楊震に勝るとも劣らない数多くの人材が国家の屋台骨となって政治が動いていました。
儒教の徒が権力の暴走のストッパーとなっていたのです。
時には筋を通すために命をかけることもあった官僚たちの社会正義の訴えかけもこの時代の見所だと思います。
国を動かしているのは官僚であり、彼らには彼らの正義があることは知っておくと、地味に見える中央政府の文官の評価も変わってくると思います。

お家騒動の大まかな流れ。

第三代章帝が即位したのはわずか19歳だったため、皇太后が後見人となりました。
幸いにも章帝の皇太后、馬皇太后は慎み深かったため、外戚が出しゃばることなく、上辺だけは親政を行っているように見え、世の中は安定し発展しました。

章帝の皇后は男子を授からず、側室の子が皇太子となりますが、 嫉妬に狂った皇后が皇太子を廃嫡、別の皇子を皇太子に立て、強引に後見人となり、権力を握ってしまいます。
章帝は32歳で崩御、わずか10歳の和帝が即位して、 後見人となった皇后(竇太后) と彼女の兄竇憲が政治を私物化します。

権力を取り戻したい和帝の期待に応えて外戚の竇一族を排除したのが宦官の鄭衆です。
鄭衆は功績を称えられ、宦官が養子をとって財産を相続する前例ができました。

和帝は病気がちな皇太子を廃して赤子同然の子供を皇太子とします。
和帝が27歳で崩御したため、この幼子が第5代殤帝として測位します。
案の定と言うか、あっという間に命を落として跡継ぎがいなくなります。

このピンチを救ったのが和帝の皇后鄧綏です。
鄧綏は竇太后が追い出した章帝の孫を引き取って養育していたのです。
それが第6代安帝。
鄧綏&兄の鄧騭は権力を私物化しませんでしたが、それでも皇帝にとって外戚であることには変わりません。
安帝は成人すると、次第に鄧綏が鬱陶しくなり、鄧綏が亡くなると一族誅殺。

ここで台頭したのが閻皇后と乳母の王聖と取り巻きの宦官の江京そして安帝の遠い親戚の大将軍耿宝などなど宦官と外戚揃い踏みで王朝を食い散らかします。
閻皇后には男子がいなかったので皇太子が邪魔でならず、強引に廃嫡させました。
安帝は継母・養母の実家の影響から外れましたが、親政とは名ばかりです。

そんな折に安帝は体調が急変して崩御します。
太后になった閻皇后と宦官の江京の肝いりで皇帝になったのは第7代少帝です。

皇帝と血縁関係のない乳母の王聖、地盤の緩い大将軍耿宝が失脚します。
太后と宦官の江京が実権を握りました。

即位した少帝は1年も持たず崩御します。
太后と江京は新しい皇帝の候補を探します。
それに逆らってクーデターを起こしたのは宦官の孫程。
江京を切り捨て、閻太后一族を失脚させます。
太后の謀計で降格された元皇太子が復権して8代皇帝・順帝となります。
宦官の地位が高まり、特例だった世襲が制度として認められ、領地を持てるようになりました。

順帝は后として梁皇后を迎え、舅の梁商を大将軍に据えて政権を運営します。
梁商は私心のない人物で順帝の立場は安定していましたが、彼の没後、 息子の梁冀(梁皇后の兄)に代が移ります。

順帝は三十歳で崩御、2歳の皇太子が即位して第9沖帝となり、梁皇后は太后となります………が沖帝は1年程度で崩御、 順帝の血は途絶えます。

3代章帝まで遡り、 傍系の清河王と渤海王の両天秤にかけた結果、梁冀は幼くて操りやすい渤海王を選びました。
第10代質帝です。
この8歳の皇帝はわずか1年半で、梁冀の手によって毒殺されます。

第一巻終わり。

この頃の文化的な出来事。

『紙』を発明した宦官の蔡倫
天体観測の道具『渾天儀』を発明した張衡。
漢字辞典の元祖ともいえる『説文解字』を編纂した許慎。
座右の銘』の出典元となった書道家の崔瑗。
漢王朝の歴史をまとめた『漢書』の班固

楊震

楊震の名前を知らずとも、三国志を読んだことがある方なら、彼の玄孫の楊修の名前はご存知かもしれません。
鶏肋」で曹操から処刑された楊修。
楊震の子孫は4代にわたって三公を任され、王朝を支えます。
三代目の楊彪董卓、李傕と郭汜の横暴にもめげず、時に曹操と対立しながらも王朝を支え続けました。
この家系は三国志の時代以降も続き、隋唐まで続きます。
隋を建国した煬家はこの家の一門と名乗っています。
漢王朝どころか中華の歴史の中でも光を放っている人物ですね。


第2巻に続く。
yasushiito.hatenablog.com


風邪か、それとも花粉症か

毎年この時期になると、鼻水たらたらになります。
時期的に言えば花粉症なのですが、周囲の花粉症の人と比べると症状が違うので、多分風邪だと思います。
寒さに体が負けているんだと思いますよ。

この時期の鼻水たらたらは要注意。
なぜなら、鼻の穴から流れずに、喉の奥に落ちていくからです。
喉の奥が定期的にとろとろ感覚で非常に不愉快。
それだけでなく、その鼻水で喉が荒れて体力が低下して、風邪の症状から発熱となるのです。
これが毎年のように1月終わりに熱を出して入院する原因。

ちゃんと調べてみると、気のせいではないようです。
inagaki-ent.com

taku-jibi.jp

まさにこれ。
この状態よ。
鼻水は健康な人でも1日に600から2000cc 飲み込むんだって。
知らなんだ知らなんだ。


今日も喉の上の方が腫れぼったくて、寝っ転がると唾が飲み込みにくいです。
ついでに胸が痛くて息苦しい。
肺の力を100%使いきれてないのが分かります。
毎年のように「もうだめかな、このまま死ぬかな」とネガティブになるのですが、気が付くと元通りになっているんですよね。
今年も去年同様に体調を崩さず取りきれれば良いのですが。

「耳泥棒」という言葉を流行らせたい

近頃やたらテレビの音に耳を取られます。

以前から館内放送のオルゴール BGM に耳を取られて読書体験が台無しにされることはあったのですが、最近特にひどいです。
ラジオを聴く機会が増えて耳からの情報に感度が高くなったのでしょうか?

特にひどいのはテレビの CM ソングで、 子供が口ずさみそうなちょっとレトロでキャッチーなメロディーに七五調の歌詞を合わされると一撃で取られます。

わかりやすい例で言うと「バイト探しは インディード」とかです。
正確には七五調ではないのですが、フジパンスナックサンドの CM が夕方の番組にヘビーローテされた時はほとほと参りました。


こういうの、私は勝手に「耳泥棒」と名付けています。
番組に興味なく、ながら視聴しているのに耳だけ奪っていくからです。

集中して作業できていると感じている時間に耳を持ってかれるので悔しくてなりません。
CM なんだから人の耳を引っ張って印象に残ってもらおうとするのは当たり前なんだけど、 脳みそが勝手に気持ちよくなるのは悔しくてビクンビクンですね。
なんで私の気持ちいいツボ知ってんだよ!?
体は正直なんだよ。
宇宙戦艦ヤマトとか、エヴァンゲリオンとか、ドラゴンクエストとか、 そういう麻薬を注入してくるのやめてくれないかな。

テレビって日常生活に溢れていて、自分には興味なくても垂れ流されているものじゃないですか。
嫌なら見なけりゃいいって話じゃないんです。
私はこういうのを、受動喫煙ならぬ受動視聴 と呼んでいるのですが、 そういう受け身の人に無理やり押し込んでくるのは罪だと思うんですよ。

「奴はとんでもないものを盗んでいきました、あなたの耳です」
画像はなし


CM だけでなく番組本体も油断なりません。
テレビ番組の耳泥棒といえば「充電させてもらえませんか?」だったかな?(本当に音だけしか聞いてないので定かではありませんが、たぶんそんな感じの番組だったはずです)
ヒットソングの一節だけ、本当に耳に残るジャイアントな所しか使わないので、とにかく番組内での使用曲が多い!
10分聞けば、必ず耳を盗んでいく一曲に出くわします。
番組に興味なくても音だけ聞いてる。
もしかして音楽が本体の番組では?


脳みそが気持ちよくなる成分を与えて人をコントロールするテクニック、いずれは社会問題になるかもしれませんね。

AI が発達したら、各個人のプレイリストの傾向から その日の体調や気分に合った最適な音楽が耳に押し込まれてくる可能性もありますね。
強制的に。
出勤前には脳波の活性化される音で仕事の生産性を高めたり、休憩時間には強制的にリラックスさせたり。
養鶏場の鶏のようにライフサイクルを管理されたらどうしよう?
あー陰謀論陰謀論
でも戦争中は戦意が高揚する曲が盛んに利用されたのですよね。

節分恒例のアレが変わった

今日は節分でしたね。
例年なら1月後半は体調を崩して病院で過ごすのが定番でしたが、昨年に続いて今年もセーフ、 施設で過ごせています。

節分といえば豆まき、そして煎り豆。
ところが施設では煎り豆を食べさせてもらえません。
誤嚥の恐れがあるからです。
代わりに出るのがボーロ。
毎年、毎年、私はこれに文句こいてます。
炒り豆好きなので食べたいのですよ。
噛む力と飲み込む力が弱い人には注意が必要ですが、ちゃんと食べられる人に赤ちゃんのおやつはないやろ。

愚痴が栄養士さんの耳に届いたのか、今年は大豆の煮豆で出てきました。
これ好き。
味付けがほんのりしているのも好き。
確実に年齢の数より多く食べました。

そして主食はちらし寿司でした。
なんかおかしな取り合わせだな、何かあるなと思案したら、恵方巻きの代わりでした。
まあこれは仕方ない。
入院中には某病院で一本丸かぶりできる恵方巻きが出た時は驚愕しましたがあれはレアケース。

おやつはコーヒーとともに黒豆おやつ。
周囲の人からは節分のために、ちょっと洒落た豆を用意していたセンスのある人だと思われたようですが、全くの買いかぶり。
私の季節感のなさは 自慢したくなるほどです。

なとり 黒まめおやつ 25g×10袋

なとり 黒まめおやつ 25g×10袋

  • 発売日: 2018/09/01
  • メディア: 食品&飲料


黒豆おやつ。
正体を完全に見切った今となっては、程よい噛み応え、ほんのりした甘さが気持ちいい。
しっかり噛んで黒豆のやさしい甘みと香ばしさを楽しめました。
チャックがついているので、二日に分けて食べました。
前回紹介した時は書きませんでしたが、乾燥剤が入っています。
口の中にガラガラ流し込んで食べる時は気をつけてください。
それ以上に、ガラガラ食べは喉に詰まる危険性があるのでお勧めしません(炒り豆の時と対応が違うじゃねーか)。