ぺんちゃん日記

食と歴史と IT と。 Web の旅人ぺんじろうが好奇心赴くままに彷徨います 。

漫画を読む 9で割れ!(矢口高雄)

昨年に矢口高雄先生が亡くなられ、様々なメディアで特集が組まれました。
矢口高雄といえばもちろん釣りキチ三平
子供の頃に読んだしアニメも見ました。
ちゃっかり影響を受けて釣竿を買ってもらい、近所の池に行ったり海に連れて行ってもらったりして釣りを楽しみました。

思い出は強く残ってはいるものの、全巻大人買いして通読するほどの熱量と資金力はさすがになくて、もう少し読みやすい作品を探してみたところ、『9で割れ!』という作品が私にぴったりだと思いました。
特集が組まれた直後に一巻だけ衝動買いしながらも、忙しくて読む時間を確保できませんでしたが、やっと読んでみようという気になったらスルッと全4巻通読してしまいました。


この作品は矢口高雄が漫画家になるまでの青春の軌跡を描いた自伝漫画です。
矢口高雄は漫画家としては遅咲きで29歳までは銀行員として働きながら、夜中に寸暇を惜しんで執筆し、短編を投稿する二足のわらじ生活でしたが、一念発起して上京してプロデビューしたという経歴の持ち主です。
当然エピソードは銀行で働いていた時の思い出が中心です。
9で割れというタイトルも銀行員時代に覚えた銀行業界の格言から来ています。
計算ミスで集計が合わなかった時の合言葉が「9で割れ」
コンピュータの伝票も計算機もない時代、手書きの伝票をそろばんで弾いて処理すると、計算ミスで桁を間違えることがあります。
そんな時に全ての数字を9で割ると、桁数を間違えた項目が分かるというテクニックです。

話の出だしは高校を卒業して新卒として銀行に入行した頃から仕事を覚えていくまでのエピソードが中心です。
もちろん、銀行員時代だけでなく、幼少期から青春期まで、時間を言ったり来たりしながら1エピソードずつ進んでいきます。
その進み方も漫画家らしい進め方で、ひとつのエピソードの中に必ず山があってオチが付いて余韻が残って終わります。

昭和30年代の世の中の空気とか価値観が垣間見れて 昭和戦後の風俗史としても面白いと思います。
2巻では味噌が嫌いになったエピソードとして弟の育児の手伝いをした話がありますが、 「日本残酷物語」で読んだ東北地方の辛い子育て事情と全く同じで、あれはやはり日常的な話だったのだなと思うと辛くて仕方なかったです。
4巻の般若になったお母さんの話のおっかないことと言ったら。


そして矢口高雄といえばやっぱり釣り。
もちろん本人も大変は釣りマニアで、釣りと共に生きてきたのですから、自伝にも釣りは出てきます。
長年釣り漫画を書き続けてきたということもあって、人物の躍動感が素晴らしい。
アタリの瞬間とか、ひいている時の手応えが伝わってくるような表現で、読んでいるだけでワクワクします。
竿のしなりの柔らかさがこんな風に描けるというのが驚きです。
釣り人と長い竿の先の様子を同時に描くための紙面の有効な使い方がとてもユニークでした。
第3巻の鮎釣り大会での活躍は痛快でした。
まあこの辺は矢口作品を呼ぶにあたっては当たり前の事なんでしょうけど、知らない人が見ても一目でわかると思いますよ。


作品を通して分かるのは、矢口高雄先生の実直な人柄です。
銀行員なんだから誠実でなければ務まりませんが、一コマの隅っこまで手を抜くことなく丁寧に描ききる仕事ぶりが伝わってきます。
そして4巻で描かれる漫画に対する情熱。
毎日のように深夜まで及ぶ仕事こなしながらもペンを休ませることなく、時には夜を通して原稿に向かったひたむきさには心を打たれました。
漫画雑誌ガロの編集長から絵が下手だとキツイ一撃をお見舞いされながらも立ち上がってゲゲゲの鬼太郎水木しげるの仕事場を訪れてプロの仕事ぶりを見、才能ある若手の助言を聞くところもまっすぐでした。
29歳からでもデビューできるのだということを若い漫画家たちに伝えたくて送ったエールなのかなと思いました。