ぺんちゃん日記

食と歴史と IT と。 Web の旅人ぺんじろうが好奇心赴くままに彷徨います 。

『御伽草子(太宰治)』の感想

ラジオドラマで聞く昔話。

先日 、ラジオ番組の『文学の扉』で太宰治の『御伽草子』から『浦島太郎』がやっていました。
この当時の文豪たちは昔話をモチーフにして、当時の価値観も組み合わせて文豪なりの解釈で盛んにお話を書いていました。
桃太郎、さるかに合戦程度は読んでいましたが、浦島太郎までは手が回っていませんでした。
そして先日聞いたラジオドラマ『浦島太郎』
ラジオドラマとして編集を加えられても、それでもなお面白かった。

本で読む太宰版浦島太郎。

原作が読みたくて調べてみると、青空文庫に収録されていますが、 Kindle 版が出ていて、しかも無料。

www.aozora.gr.jp


お伽草紙

お伽草紙


Kindle 版を選択しないわけがありません。
この本には浦島太郎の他にも、こぶとりじいさん、かちかち山、舌切り雀が収録されています。
全て短編なので、各エピソード、文体が少々古くてつっかかるところもあるかもしれませんが、それでも1時間もかからないで読めると思います。


太宰治作品らしく、浦島太郎もどこかこじらせためんどくさいおじさんでした。
文化人きどりの太郎は、「雅」とか「風流」のような高貴な人の立ち居振る舞いや価値観を自分なりに解釈して実践しているわけですが、世間の人たちはそれを「冒険心がない」などとやかましく批評して来るからうんざりしています。
世俗の人にとって、高貴な人の暮らしぶりとは、毎日酒を飲み、豪奢な料理に舌鼓を打ち、音を奏で踊りをまい、賑やかに過ごすことだと考えていますが、 太郎が考える高貴な振る舞いとは真逆の方向で、分かっていない人たちが分からないまま相手を評価する俗世の噂話にうんざりといったところです。
小難しい理屈をこね回す太郎に対して、おしゃべりな亀がツッコミを入れながら、「批評の全くない竜宮城という世界がある」と囁いて竜宮城へと誘い込みます。
誘い込む掛け合いの辺りはテンポが良くて気持ちいい。

太宰の想像する竜宮城は、我々が伝え聞くような鯛やヒラメの舞い踊りと美しい乙姫様の接待とはかけ離れていて、無限の宇宙のような幻想的かつ広大な世界です。
自由すぎて凡人なら持て余すような場所でした。
乙姫様もあっさりした人で、太郎が招いてくれたことを挨拶すると、軽く会釈をしただけで自分の日常に戻ってしまいます。
太郎は亀の案内で焼き鳥の味のする海藻を食べ、 ほろりと酔えるしずくを飲んで、我が家のように好き勝手に暮らします。
それは確かに亀の言うとおり、批評の全くない自由な世界でした。
しかし人間とは不思議なもので、太郎は他人の批評とか噂話にはうんざりしているにも関わらず、いざ、それのない世界に入ってみると寂しくて、やかましい俗世に帰りたくなってしまいました。
現代社会の SNS にも通じて、とても共感しますね。

太郎がいとまごいすると乙姫は引き止めることもなく、名残惜しむことなく、そっけなく貝を渡します。
これが玉手箱と言われるものです。
浦島太郎の最大の謎、玉手箱。
伝え聞くところでは乙姫様は開けてはいけないと言いながら渡しますが、太宰治は乙姫様は何も言わずに渡して、亀の助言で開けない方が良いと言うことになっていました。
まあいずれにせよ、開けてしまうとおじいさんになってしまうという意地悪なところなのですが、太宰治は乙姫の残酷な仕打ちを「年月は人間の救いであり、忘却は人間の救いである」と結論づけます。
つまり、おじいさんになった姿を想像して、我々は不幸になったと考えますが、それは我々の価値観であって、実際は太郎は少しも不幸ではなかったということです。
もし太郎が地上の世界に戻って幸せになって毎日楽しく過ごしていたかったら、竜宮城のことなどすっかり忘れ、玉手箱のことも気にならなくなるはずです。
それなのに玉手箱を開けてしまったということは、竜宮城のことを忘れられず、懐かしんで戻りたいという強い気持ちがあったからだろうと想像します。
おじいさんになってしまえば、過去の記憶をなくすか、遠い思い出になって懐かしさに昇華してしまうということです。
現代の価値観と比べても古さを感じない解釈だと思いました。

刺さったところ。

昔話のミステリー部分に意地悪なツッコミを入れながら人間のどうしようもない本質に切り込んでくるところが憎いです。
1番えぐられたのは、'浦島太郎が亀を助けたのが欺瞞である'と亀が食ってかかるところです。
部分的に引用します。

あなたが私を助けてくれたのは、私が亀で、そうして、いじめている相手は子供だったからでしょう。
亀と子供じゃ、その間に入って仲裁しても、後腐れがありませんからね。

あの時の相手が亀と子供でなく、例えば荒くれた漁師が病気の乞食をいじめているのだったら、あなたは5文はおろか1文だって出さず、いや、ただ顔をしかめて急ぎ足で通り過ぎたに違いないんだ。

私にも覚えがあります。
確かに気まぐれに親切にするときは大抵後腐れのない相手ですわ。
身近な人ほど、気まぐれな施しはやりづらいですわ。
同じように、打算などない親切を施してくれるのは 適度な距離感の相手だったりもします。
そして、'私とあなた'の一対一で解決できる状況のみ。
粘り強い折衝を必要としたり、人間関係がこじれるようなトラブルに巻き込まれそうな揉め事には関わり合いたくありません。
まあそりゃあ柄の悪そうなおっさん同士の小競り合いを仲裁するほどお節介な人もなかなかおりませんって。
人間が振りかざす正義感ってそんなもんですわ。

他の話も面白かった。

この本には他にも、こぶとりじいさん、かちかち山、 舌切り雀が収録されています。

かちかち山なんかはお勧めです。
モテない男性の被害者意識と無自覚な加害行為のせめぎ合いが痛すぎて滑稽です。
私にも狸的行為に身に覚えありますわ。
キモくてごめんね。


最後にこの話を読むきっかけを作ってくれたラジオ番組「文学の扉」を紹介しておきます。

www.tbsradio.jp