ぺんちゃん日記

食と歴史と IT と。 Web の旅人ぺんじろうが好奇心赴くままに彷徨います 。

眺めの会(定期映画鑑賞会)1月上旬 男はつらいよ・夕焼け小焼け

中高年にとってのお正月映画といえば。

今年最初の眺めの会は三が日に衝突。
これはもう正月映画を見るしかないでしょう。

といっても映画弱者の私、「それならこれだ」というタイトルは出てきません(この流れなんどめだ?)。

まあベタベタでいいなら『男はつらいよ』シリーズでしょうか。
男はつらいよ、子供の頃からの定番です。
ここまで当たり前になりすぎると軽く見てしまいがちです。
面白いことはわかっていても、わざわざ見る機会もないので、大人になってからちゃんと見ていません。
今回は男はつらいよシリーズで決定。

さてここで問題になるのは、49作ある中で初心者はどれを選べば良いのか?
正月を描いたタイトルがあれば良いのですが、正月映画のイメージがあると言っても、新年の季節を描いているわけでもありません。
しょうがないのでランキングやレビューサイトなどの評価を参考にします。
こういうところが弱者なんですね。

それで平均して評判が良かったのが『寅次郎 夕焼け小焼け』
世間の評価に期待してレッツゴー。


今回のプラットホームはアマゾンプライムビデオです。
HD リマスター版です。
プライム会員でも有料コンテンツです。

男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け。

1976年に公開された日本映画。
男はつらいよシリーズの17本目。
監督は山田洋次
脚本は山田洋次朝間義隆
主な出演者は渥美清太地喜和子岡田嘉子宇野重吉
上映時間は109分。
言語は日本語。


www.cinemaclassics.jp

あらすじ。

公式サイトがしっかりしているので、公式から引用します。

上野の飲み屋で、みすぼらしい老人と出会った寅さんは、気の毒に思いとらやに連れて来てしまう。その老人は、日本画の大家・池ノ内青観(宇野重吉)だった。世話になったお礼として青観が描いた絵をめぐり、とらやでは大騒動が巻き起こり、寅さんは旅に出ることに。ところが兵庫県龍野で、寅さんは青観と再会、市長の接待を受け、芸者ぼたん(太地喜和子)と意気投合。しばらくして、ぼたんが、客だった鬼頭(佐野浅夫)に貸した二百万円を踏み倒されそうになって、上京。あまりにも理不尽な事態に、憤慨した寅さんは・・・

見終わった感想もちろんネタバレあり。

あっという間の濃密さ。

冒頭のスティーブン・スピルバーグジョーズ』の時代を感じさせる茶番から醒めた後は全力疾走。
気がつけば『終わり』でした。
文句なしに面白かった。
午後からもう一度見てしまいましたが、2回目も面白かった。

密度が高くて一瞬のスキマでも有効に使って笑わせてくれます。
テンポの良い掛け合いがなんと面白いこと。
お寺で水をかけられたところなど、注意深く見れば、人間の言葉の切り返しや体の反応はこんなに早くないので、不自然にならないギリギリの所まで間を詰める工夫があるのではないでしょうか。
こういう小さな積み重ねで江戸っ子のせっかちなところがよく浮き彫りになっているのだと思います。
早とちりから誤解が生まれて騒動に発展するところは、落語の笑いそのまんまだと思いました。
そうです、落語です。
落語の面白さと映像を組み合わせたのが男はつらいよシリーズの面白さの大黒柱だと思います。
江戸の古典的な芸能に少しでも興味がある人であれば確実に楽しめるなと思いました。

人間関係の密度が高い。

この映画の何が楽しかったかといえば、人間密度の高さです。
画面の中にはいつも誰かが。
この人間密度は、この一年で見た映画の中でちょっと見当たりませんでした。
もしかしたらこの時代の邦画特有のスタイルなのかもしれません。
サシで話している時も奥の方で誰かが話を聞くながら成り行きを見守っていたりして、決して他人ごとにはしません。
悪く言えばおせっかいなのですが、人間関係の密度が観客の心を温めてくれるのだと思います。
特に柴又のとらやにいるときは近所の人を含めて狭い部屋で卓を囲んでガヤガヤやっています。
話を聞いている後ろで人の昼飯もそばをすすっていたりして目と耳のアンテナが休むことがありません。
これだけ情報過多だと画面がうるさくて集中できないように思われますが、これがピントの合わせ方が上手い。
何をやっているか分かりつつも邪魔にならないようになっていました。
これは落語にもない面白さかな。
落語でも一人で複数人を演じ分けますが、さすがに喋っていない人のさりげない仕草まで表現できないでしょう。
濃密な東京体験は、昭和の東京文化の集大成とも言えるのではないでしょうか。

池ノ内青観、自分を取り戻す。

『寅次郎 夕焼け小焼け』はシンプルな話です。
気立ては良いが情にほだされやすく人に尽くしすぎて失敗する芸者のぼたんと、 情を押し殺して理を優先してしまう自分に悔やむ日本画家の池ノ内青観の、ある意味対照的な二人が、寅さんの人情に触れて救われていくという話です。
ぼたんは鬼藤という男に騙されて200万円を掠め取られてしまいます。
東京に逃げた鬼藤との交渉は失敗して気持ちを踏みにじられます。
怒った寅さんは、ぼたんと面識のある青観の元を訪ねて、絵を書いてくれれば それを売って彼女を助けられると必死に懇願します。
しかし青観は断ったために寅さんから絶交を言い渡されます。
ぼたんは寅さんの懸命さに心打たれて200万円よりも大切なものを知って救われます。
一度は絵を描くことを断った青観も寅さんの気持ちに打たれて業界の理屈を曲げてぼたんに絵を送り、 自分を取り戻せたことで救われます。

印象深かったのが、ぼたんと青観の対応の違い。
ぼたんはタコ社長の工場の若者たちに本物の芸者の芸を見せてあげてほしいという頼みを断りませんでした。
寅さんに公私のけじめがついていない無理な要求だと苦言を呈してもらったにも関わらず、気安く引き受けました。
プロなんだからギャラの交渉なしに引き受けることは難しかったはずでしょう。
そういうところがぼたんのいいところでもあり甘いところでもあります。
反対に、青観は寅さんからぼたんのために絵を書いて欲しいと頼まれた時に断りました。
ぼたんと寅さんは所帯を持とうと約束するほど意気投合しましたが、青観から見れば、座敷で一度相手してくれただけの関係ですからね。
心情的には助けてあげたくても常識的には引き受けられないので彼の判断は咎められるものではありません。
故郷の龍野でも同じように、心情的には一生を添い遂げたくても自分の夢のためには恋人志乃と共に暮らす人生を引き受けられなかった態度にも通じます。
登場直後には破天荒に見えた青観は、実は理知的かつ利己的な人だったわけです。
龍野で街を回る仕事を仮病を使って寅さんに任せて、自分は自由になったところを志乃に会う時間にあててしまいました。
寅さんとは偶然に出会ったとはいえ、脱走は計画してとことだと思います。
私の中ではなかなか食えない爺さんです。

ぼたんは自分に正直にありのままを話すので、彼女の情熱と寅さんに対する感謝の心にはこちらのジーンときました。
青観は語られない余白の部分も多くて、そこは見た人の想像に任されることになります。
なんで焼き鳥屋で酔っ払っていたのか?
やはり気になります。
青観が帰宅したときの奥さんは心配するでもなく、家出には慣れっこになっていたようでした。
金を持たずに鰻屋に行った時は素面だったので、つけで飲食するのもいつものことだった様子。
それが何で面識もない安い焼き鳥屋に入ってしまったか。

じいさんの境遇を寅さんのように想像をたくましくした結果、龍野の仕事で龍野に帰りたくなかったのではないかと考えました。
おそらくは若い頃に出奔して以来、龍野には帰っていないと思われます。
行けばいやでも志乃のことを思い出すでしょう。
その龍野の仕事が入ったことで昔の想いが再燃、しかし奥さんの前で過去の女を思いめぐらすわけにもいかず、 若くて貧乏だった頃に過ごしたように焼き鳥屋でお酒を飲みながら会うか会わないか悩んでいたのではないでしょうか。
寅さんが想像した「北海道でクワ担いで歩いている」「息子夫婦がじいさんがいつまで生きているのかヒソヒソやっている話が聞こえて辛い」よりはマシな想像な気がします。
それでも謎なのが、志乃と再会することをいつ決断したのか。
特に根拠はないのですが、龍野に来た時に心は決まっていたのだと思います。
葛藤しながら決断したしのさんとの再会ですが、人間は必ず後悔する生き物で、やってしまった後悔とやらなかった後悔のどちらか一つに必ず悩むことになるのだから、 人生に正解ルートはないことを諭されました。
この答えは長い苦しみの中で自分の境遇を受け入れた人でなければたどり着けない言葉だと思います。
青観もこの言葉には救われたことでしょう。
彼にとってはとらさんが作ってくれたかけがえのない時間だったと思います。
映画の最後で青観が寅さんをリスペクトした姿でとらやに姿を現したことにはほっこりしました。
寅さんのように完全に自由にはなれないけど、気持ちだけは自由でありたいという決意を感じました。

その他に感じたこと。

龍野の夕暮れの街並みは素敵でしたね。
タイトルの夕焼け小焼けが示すように、龍野の夕焼け空を見事に描き切っていました。
特に町内放送を使った音楽『赤とんぼ』が流れるところはぐっと心を掴まれました。
あの日常の光景は日本人なら必ず共感できると思います。

ところで私の想像で青観は龍野には別れの時以来帰っていないと考えましたが、車で街を巡る間に『あの家は昔先生が書いた家です』と言っていました。
じゃあやっぱり、ふるさとを描きに帰ってきたことがあるのではないかと考え直しましたが、実はそれ志乃の家では?最後に東京に帰る時に志乃が玄関先に出て挨拶をしていましたので、抜け出して密会したあの家が街の中であることは伺えます。
東京に出てから記憶を頼りに未練タラタラで描いていたと想像すると納得いきます。


それにしてもあのゴルフ男、鬼藤に腹が立ちましたね。
結局あの男は物語の中では何一つ罰を受けることがありませんでした。
釈然としないまま2回目に見た時に気づいたのですが、 オープニングの歌の部分(タイトルバックというのかな?)で、川の土手で寅さんとゴルフをしているおじさんが騒動になって、集まって来た血気盛んな野次馬たちにゴルフおじさんがもみくちゃにされているではありませんか。
最初に見た時は、ゴルフおじさんのポンコツ加減に笑ってしまいましたが、まさかあの後ゴルフを巡ってあんな嫌な気持ちになるとは予想しませんでした。
2回目に見た時は、ゴルフ野郎ざまあみろとばかりスカッとしてしまいました。
あのおじさんは鬼藤本人ではないですが、同じゴルフプレイヤーでも庶民の目線に降りてきて喧嘩できれば 違った関係になる可能性もあったのではないかと想像させられました。
理屈を積み上げて合理的に暮らすことは考えやすいのではありますが、時にはこういった衝突があった方が結果的には問題が小さく収まるのではないかと感じました。


評価が高かった作品だけあって良い作品でした。
あと、お尻のトラブルでなかなか書けませんでしたがなんとか次回の眺めの会までに間に合いました。