眺めの会(定期映画鑑賞会)10月上旬 華麗なるギャツビー
知らないなんて恥ずかしい? アメリカを代表する文学作品。
入院してしまって9月はお休みしてしまいました。
8月末以来の眺めの会です。
今回はアメリカが誇る不朽の名作「グレート・ギャツビー」を実写化した「華麗なるギャツビー」です。
古典的作品ということで何度も映画化されています。
今回は最も新しいレオナルド・ディカプリオが主演しているバージョンを選びました。
実はこれを8月末に見る予定だったのですが、こんな有名な作品の原作を知らないまま映画だけを見ていい気になるのは恥ずかしいのではないかという自意識が働いてしまい、急遽原作を読むところから入りました。
原作を読むと言っても、翻訳選びも悩みどころです。
本当に作品を愛している人たちが何度も何種類も繰り返し読んで、合う・合わないをレビューするので初心者にはちょっと怖い。
もちろん映画の方も、どの作品が好きという話であれたりします。
私の場合は手に取りやすいものという基準で選びました。
今回の視聴プラットフォーム Amazon プライムビデオ。
HD 版が有料コンテンツとして配信されています。
字幕版を選択しました。
年齢レーティングは全年齢となっています。
華麗なるギャツビー。
2013年に米国で公開された恋愛映画です。
言語は英語です。
原作は F ・スコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』
米国を代表する文学作品の実写化となっております。
監督はバズ・ラーマン。
脚本はバズ・ラーマン、グレイグ・ピアース。
出演者はレオナルド・ディカプリオ、トビー・マグワイア、キャリー・マリガンなど。
あらすじ。
第1次世界大戦終結後、ニューヨークは活況に沸いた。
ニューヨークの証券所で働くことになったニックは高台にあるウエストエッグという島に家を借りて住むことになった。
隣にはお城のような豪邸があり、週末の夜には盛大なパーティーが催され、あらゆる人がつどい楽しんでいた。
しかし奇妙なことにパーティーに参加する人たちの誰一人として屋敷の主ギャッツビーの正体を知る者はいなかった。
その謎の男ギャツビーから、パーティーの招待状がニックの元に届く。
謎めいた男ギャツビーの正体に俄然興味が沸いたニックは屋敷内を探し歩いた末にギャツビーと出会う。
知り合いとなった二人は共にランチに行くなど次第に打ち解けていく。
ギャッツビーの願いはニックのいとこであるデイジーとのお茶会をセッティングしてもらうことだった。
しかし、デイジーは良家の子息で全米に名を轟かせるポロプレイヤー 、トムと結婚しているのだった。
しかもニックはそのトムとは大学時代からの友人だった。
ニックはギャツビーとデイジーの関係が戦争によって引き裂かれた過去を知り協力する。
ニックはトムに愛人を紹介された事があったのだ。
ニックの助けで5年ぶりに再会を果たした二人は 激しい愛を燃え立たせる。
原作。
原作は古典的名作なので優れた翻訳がたくさん出ています。
この映画を見て気に入った方は原作を読んでみると良いでしょう。
誰の翻訳を選ぶか難しいところですね。
日本でも著名な作家である村上春樹さんが翻訳を出しています。
著名な作家ですから入りやすいかもしれませんね。
- 作者:スコット フィッツジェラルド
- 発売日: 2006/11/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
電子書籍なら格安の翻訳もあります。
とにかく原作に触れてみたいと言うなら Kindle 版も良いかもしれませんね。
- 作者:F・スコット・フィッツジェラルド
- 発売日: 2013/04/09
- メディア: Kindle版
見終わった感想もちろんネタバレ。
一般教養レベルの名作ということで「知っている」こと前提で ネタバレ全開です。
わかりやすい。
原作が先か? 映像が先か?
私は悩んだ末に原作を優先しましたが、初心者は無理しないで映画を先に見れば良いと思います。
映画が良かったと思えば原作に当たれば良いと思いますよ。
映画で筋書きを理解していれば楽に読み進められると思います。
複雑怪奇な作品ではないのですが、日本人にとっては大正時代のニューヨークを思い描く力には限りがありますからね。
原作では情景をどれだけ説明されてもさっぱり分かんなかった。
それが映像になったことで手に取るようにわかりました。
冒頭のニューヨークの空撮からフリーフォールのように地上を歩く 人達に近づく所は没入感が出ましたね。
もっとも、当時の色使いがあんなにどぎついイメージはありませんし、ダンスのノリも今風な気がしてならないのですけど、 私には分かりかねますね。
デイジーは派手好きだから、こういうのを好むだろうという解釈何でしょうね。
まあとてもバブリーで、あの頃はよかった感は演出できていると思います。
でもパーティーシーンではダンスミュージックがヒップホップ調でやたら現代風 なのはさすがに違うだろうと思います。
乱痴気騒ぎの場面では必ずヒップホップなので狙ってやってるんだと思います。
所々にほんまかいな?と思うことがありますが己の想像力で小説を読むよりは遥かにわかりやすいです。
「私がギャツビーです」
一番素晴らしいと思ったのがギャツビーの登場シーン。
主人公のギャツビーが登場するまでに30分近くかかります。
謎に包まれた人物なのですから、原作でも当然すぐには現れません。
ニックは屋敷の主に挨拶するために、パーティー会場のあちこちを尋ね歩いて回ります。
もちろんニックを含めて誰もギャツビーがどこにいるのかわかりません。
その間ずっと、好景気に沸き狂った、 退廃的で、ダメな大人ばかりを散々見せ付けられ、「ここにはまともな奴はいないなあ」とげんなりしながら焦らされたところでやっと登場します。
この登場シーンがすごい。
「ギャツビーさんはどちらにおられるかご存知ですか?」 の問いかけに対して、ゆったりと振り返りながら。
「私がギャツビーです」
そこで、『そうは見られない極上の笑顔』と共にグラスを乾杯、ファンファーレと共に花火ドーン。
こんなの反則ですよ。
完全にハートを撃ち抜かれました。
これが人の心を虜にする笑顔というものか。
画像検索もいいですが、是非とも本作品で見て欲しいです。
ただのイケメンでは出ない顔です。
これは全世界の女性必見ですよ。
納得のレオ様。
配役がレオナルドディカプリオだったのは完全に納得ですね。
血筋が良くて金持ちのいけ好かない男からヒロインを奪い取る若き野心家という筋書きを演じるってどこかで見たような?
最後は夢やぶれてゆっくりと水の中に消えていくって、何タニックですか。
いやいや、そんな冷やかしをしている場合じゃない。
演技がとても良かったです。
特に5年ぶりの再会のシーン。
緊張するあまり逃げ出してしまうところとか、 中学生並みにピュアだとこうなっちゃいますよね。
いよいよ対面という時には顔の筋肉が固まってガン飛ばしているようにしか見えなかった。
あの極上の笑顔を出した紳士がそこまで崩れるほどの恋をするなんて、'そうめったに見ることのない顔'だと思いました。
その後も、浮き足だって余計な心配をしてしまう狼狽ぶりとか どれをとっても素晴らしい演技でした。
ニックから緊張を指摘され我に帰るところのギャップもよかったです。
理想の男 J・ギャツビー はどんな男であるべきかを熟知してひたむきに努力しているんだと思いました。
衣装と道具もすごい。
女性達のファッションが美しかったです。
日本人なので当時の流行がどんなものだったかイメージできませんが、みんな魅力的でした。
デイジーがつけていたティアラの完成度が高くて見入ってしまいました。
ジョーダンも魅力的な女性だったので見とれるほどでしたが、もう少し活躍の場が欲しかったですね。
あと自動車。
当時の最新スポーツカーを再現してましたね。
クラシックカーってかっこいいよ。
グレート………なのかなあ?
この話はギャツビーの死後にニックが彼の人生について語った回顧録というスタイルになっています。
彼はそのタイトルにグレート・ギャツビーとつけました。
でも現代人から見て彼はグレートかな?
確かに彼の未来に向かって進むまっすぐな情熱はグレートです。
たった一人の女性のために財を惜しむことなく演出できるところもグレートです。
一人の女性を愛し抜くところも真似できるところではありません。
女性だったらみんなデイジーのように愛されてみたいと思うでしょう。
でも理想が極まりすぎて怖い。
過ぎ去った5年が綺麗に巻き戻せると信じて疑わない所には狂気すら感じます。
度を越した愛情 はモラハラ一歩寸前だと思いません?
もしデイジーと一緒に暮らせるようになったとしたら、自分が思い描いた理想の生活に重なるように強要されそうで怖い。
断ったらストーカーになりそう。
そして、あんなに純真で高潔なのに、デイジーと一線を越えちゃってる。
いや、結合シーンまでは描かれていなかったので、下衆の勘ぐりなのかもしれませんが、まあ映画を見る限りはやっちゃってますよね。
結局正式な結婚まで我慢できないのか………。
原作はそこまで踏み込んで書いてありましたっけ?
それとも監督の解釈で二人は当然ヤっちゃっているだろうってこと?
勝手ながら私はギャツビーなら我慢していただろうと想像していたので、ちょっとびっくりしました。
びっくりしたといえば、修羅場の山場でトムからギャツビーが貧困層の出自であることを侮辱された 場面。
胸ぐらを掴んで拳を振り上げるのですが、あれもどうかなと思いました。
雑な読み方しかしていないので原作通りだったらごめんなさい。
あれではギャツビーという男の価値が下がる。
ギャツビーの見せる穏やかな笑顔は、デイジーのために理想的な男性を上手に演じているだけで、追い詰められた事で馬脚を現してしまったと見れたのです。
目の前でそれを見てしまったデイジーは 気持ちがすっかり冷めてトムの方に揺れてしまったのだと感じました。
そんなことでデイジーの気持ちは冷めないでしょ。
デイジーは臆病で自分では何も決められないだけで、ギャッツビーへの気持ちは変わらないと考えていたからです。
百年の恋も冷めるほど取り乱して心変わりされたという体裁だとギャツビーが可哀想すぎる。
うーん、これでは原作を読まなかった方が素直な気持ちで見れたな。
でも複数の翻訳を読む体力はないや。
看板の目が怖い。
ところで事件が起こる死の谷に立っているメガネの看板が怖いんですけど。
もちろん事件の一部始終を見ていることを意味しているのだと思います。
要所要所で繰り返し出てくるところを見れば、それ以上の重要なメッセージを伝えているはずなのですが何だったんでしょうね?
そこまでは踏み込めませんでした。
原作マニアの方なら深いところまでわかったのかもしれませんね。
2013年すごくない?
こちらも余談もいいところですが、前回鑑賞した『ウルフ・オブ・ウォールストリート』もちろんレオナルド・ディカプリオ主演の映画なのですが、こちらもこの映画と同じく2013年の公開となっていて、よく二つの映画を同時に収録できたものだと驚きました。