ぺんちゃん日記

食と歴史と IT と。 Web の旅人ぺんじろうが好奇心赴くままに彷徨います 。

定期映画鑑賞会(眺めの会)8月中旬- 太平洋奇跡の作戦キスカ

終戦の日

8月15日。
終戦の日ですね。
この日に眺めの会がやってくるという巡り合わせを見過ごすわけにはいきません。
ここはやはり戦争映画を通して二度と戦争を繰り返さないような反省をしたいと思います。
実はこの機会に適切な映画を見れるように、候補の準備してあります。
以前のラジオ番組内で、時代劇評論家の春日太一さんがステイホームの巣ごもり期間中に太平洋戦争を描いた映画作品を70本以上視聴した中で 特筆すべき作品を紹介していたのでした。
今回はそこで推薦されていた作品の中の一つ「太平洋奇跡の作戦キスカ」を見ることにしました。
Amazon プライムビデオの有料コンテンツです。
古い作品なので配信コンテンツが含まれているだけでも視聴しやすくて良いですね。
DVD だったら見ることができませんでした。


太平洋奇跡の作戦 キスカ

太平洋奇跡の作戦 キスカ

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

太平洋の奇跡の作戦キスカ

1965年に公開された日本の戦争映画。
言語は日本語で上映時間は1時間44分。
監督は丸山誠治
脚本は須崎勝彌
出演は三船敏郎山村聡中丸忠雄
特撮監督は円谷英二

あらすじ。

第二次世界大戦中に アリューシャン列島キスカ島で実現した史実を脚色して映画化したもの。

昭和18年5月、アッツ島玉砕したことにより、アメリカ本土に近いキスカ島が孤立してしまった。
同年7月にはキスカ島に駐屯する日本兵約5000名は弾薬食料の補給が乏しくなり、玉砕待ったなしの情勢となっていた。
そこで日本は救出に向かうのだが、島を完全に包囲されていて容易に近づけない。
無線を飛ばすと作戦内容がばれるので作戦を伝えることができない。
早く作戦を実行しないと、救出作戦を知らない島の兵士たちは 弾薬が尽きる前に一花咲かせようと玉砕を早まってしまう。
時間をかけてしまうと、米軍が基地を作って上陸作戦を敢行してしまう。

作戦を成功させるには、米軍に知られることなく作戦を伝えで玉砕を防ぎ、約束の時間に速やかに挑戦できるように準備させ、艦隊は米軍のレーダーをかいくぐって艦隊を島の岸に近づけて引き上げさせる。
脱出に許された時間は1時間。
それ以上停泊してしまえば米軍に見つかって一網打尽となってしまう。
作戦遂行までに許された期間はせいぜい7月末日まで。
不利な条件ばかり重なるこの作戦を指揮するためにはるかラバウル島から呼び寄せられた大村少将は、果たしてどのように成功させるのか。


思いっきりネタバレの感想。

胸すく名作。

とても良い作品でした。
面白い作品と言ってしまうと圧倒的な怒られが発生してしまうので言葉を慎みます。
良い作品です。
おっと、それ以前に見出しの「胸すく」の方を慎むべきでした。
戦争映画を見てスカッと胸をすかせてどうする。
戦争なんだから悲しみ反省するべき!謝罪!懺悔!哀悼!爽快感なんて許しません!

もちろん戦争の悲しさや残酷さはきちんと描かれています。
ただそれだけではなく、喜怒哀楽をバランスよく盛り込んでいるなと思いました。
なんといってもこれは映画です。
良くも悪くもエンターテイメント作品です。
客はお金を払ってみる以上、 苦しいだけの作品ではたとえ見てもらっても印象にも残らず考えるきっかけにもなりません。
日本兵が助かって歓喜する姿を見て喜ぶことは罪じゃないですよね。
サービスシーンを盛り込んで、一人でも多くのお客さんに見てもらえるように工夫するのも作り手側の一つの正義だと思うのです。

まあそれにしてもハラハラさせられる話でした。
バッドエンド 作品に慣れすぎてしまって、締めくくりの字幕が出るまで全く油断できませんでした(そういえばこの作品エンドロールがなかった)。
気分はすっかり大村少将。
日本の土地を踏みしめるまで油断したら全ての努力が台無しです。
本当に終わった時はホッとしてしまいました。
命が救われるって本当にいいですね。

古いからと侮るなかれ。

実はこの作品、視聴ボタンをクリックする前は少しためらいました。
自分が生まれる前の1965年の白黒の作品ですからね。
それを今さら有料で見てもがっかりするのではないかという不安でした。
フルカラーの CG の迫力を慣れてしまった我々にとっては、いかにも物足りなさそうです。
映像だけでなく音声の質にも不安がありました。
ノート PC で視聴するのは厳しいかもなあ。

それはただの杞憂、あっという間に世界に引き込まれました。

戦艦のディティールがすごい。
それもそのはず。
特撮監督にはウルトラシリーズ円谷英二を起用しています。
下手にカラーにするよりもずっとリアルです。
砲撃の場面の迫力もやばいくらいスリリングです。
この迫力は普通のプラモデルでは再現できないと思います。
どれくらいのサイズなんだろう?
CG には CG のリアルさが ありますが、それと特撮の迫力とは競合するものではないなと思いました。
後は爆薬の使い方がすごい。
昔の作品だから、あの時代にしか許されなかった危険な映像が実現しています。
歩兵が走って逃げる場面で煙に巻かれるくらいの至近距離で爆発するって 今では無理無理。

脚本や演技については全く心配ありません。
むしろ戦争を知らない我々の世代が想像で作ったものよりもはるかに説得力があります。

徹底して戦わない勝利を描いた。

結末は作戦成功でハッピーエンドに終わりました。
船の上で抱き合って喜ぶ兵士たちの姿を見て誇らしく気分が高揚しましたが、後から冷静に振り返ってみると、この映画全く戦っていないことに気がつきました。
敵軍に攻撃を与えたのは防衛部隊の射撃が戦闘機を撃ち落としたくらい。
艦砲射撃は仲間に場所を知らせるためのもの。
最後まで戦わずに逃げました。
作戦の目的は戦うことではなく逃すことだったんだから当然です。
命を助けるために逃げ出すことがゴールになっているのですから正真正銘の反戦映画ですね。

やらない決断を下す勇気。

日本はどうして開戦に踏み切ったんでしょうね。
元を正せば、そこでやらない決断をしていれば負けることもなかったのに。
やらないと決断するよりも、勇ましくやる決断を口にする方が簡単でかっこいいから、苦しい時ほど簡単な方に流れてしまうんだと思います。
大村少将の決断は賞賛に値します。
救出作戦の肝は、深い霧に隠れて敵の監視の目をかいくぐって島に近づく作戦ですが、全ては自然任せ。
たとえ周辺の海域にたどり着いたとしても、霧が晴れてしまえばたちどころに発見されて作戦が米軍にバレてしまいます。
そうなれば警備を固められて救出のチャンスは潰えてしまいます。
ところがキスカ島周辺の海域に辿り着いた時、 霧の掛かり方が浅い。
行けるか、いけないか。
ギリギリの判断です。
艦隊の各船の 船長達は一刻も早く救出作戦を決行して集団自決を防ぎたい、そんな一心で艦隊を指揮する大村少将に対して「決行しましょう」と合図を送ります。
海域までたどり着くだけでも一苦労だったのに、目の前に島を見ながら撤退するなんて悔しすぎます。
並大抵の指揮官であれば、ここで空気に呑まれて「よし、行こう」となることでしょう。
しかしここで大村少将は「やめ」の合図で撤退します。
指揮官たるもの、取り残された兵士たちを助けたいだけでなく、手柄を立てたはずなのです。
結局手ぶらで港に帰った救出艦隊は次の霧が出るまで臆病者の謗りを受けながら辛抱強く待つことになります。
もしかしたらあれが最後の機会かもしれない。
「あの時、強引にでも突入しておけば」と一生言われるかもしれない。
その責任をとる覚悟をしたことこそが本当の勇気だったと思います。

結果に合わせて事実が捻じ曲げられる恐怖。

戦争では常に勝利という結果だけが求められます。
思うように結果が出ないことの不安に耐えられるほど人間は強くないのだと思うのです。
早く結果を出したい。
それがたとえ失敗であっても、結果が出てしまえばすっきりする。

キスカ島に限らず孤立した部隊はやたらと玉砕したがります。
そんな戦い方は間違っていると頭ではわかっていても、華々しく 戦ったという方向に話を捻じ曲げてしまえば即座に結果を出せてしまう。
最悪の結果だろうと急いでしまうのは人間として普通なんだと思います。
この作戦では部隊長が全員から手榴弾を取り上げて自決を阻止しました。
結果を求めるあまり決断を早まらなかった奇跡のひとつだったのと思いました。

救出部隊も同様に早く結果を出したがります。
出撃条件が一定期間の濃霧の発生ですから、気象予報士の判断が出るまで動けません。
しかし相手は自然です。
こちらの都合よく霧がかかってくれるとは限りません。
そんな中でも結果を出すことが求められます。
出撃もせずに海を眺める臆病者たちとからかわれるのに耐えきれない血気にはやった水兵たちが気象予報士に対して出撃させると圧力をかけます。
つまり、予報士の虚偽報告で霧が発生する期間を五日間続かせるのです。
幸いにも気象予報士はぎりぎりのところで学者としてのプライドを捨てきれずに虚偽報告を思いとどまりました。
そして待った甲斐があって、その後、期待通りの霧が発生します。
仲間からの要求をはねのけて 自分の見識をねじ曲げなかったプライドは賞賛されるべきです。
指揮官は専門家の意見を信じるしかないのですから、間違った数字が上がってしまえば、間違った判断を下してしまいます。
たったひとつの数字です。
その報告が大勢の人の命を左右する。
辻褄を合わせるために数字を改ざんすることは現代の我々の仕事でも頻繁にあります。
戦争では味方の方が敵より怖いのではないかと思いました。


今だからこそ評価されるべき作品。

この映画が公開されたのが1965年。
終戦から20年の歳月が流れています。
戦争で米軍を手玉に取った作品。
結末でも米軍を結構煽っています。
GHQ の目が光っている間は差し込めなかった文章でしょう。
この作品に対する当時の社会の空気感はどんなだったでしょうね。
やっぱり相当批判されたんでしょうか。

戦争を体験していない我々世代にとって、戦争を描いた映画は積極的に見たいものではありません。
必ずバッドエンドに落ちるループもののタイムトラベル小説のようなもので受け入れがたいジャンルです。
日本が負けた現実を受け入れたくないがために、あの戦争は正しかったとか、本当は勝てたのにあいつらのせいで負けたとか、途中の出来事をねじ曲げて辻褄を合わせることで心のバランスをとりたくなってしまう人もいるでしょう。
いつまでも反省することに疲れてしまう人もいるでしょう。
どうせ反省しても分かってもらえないんだから、するだけ無駄だ。
近年はそういう意見が次第に強くなってきていて時々怖いです。
それがエスカレートして、もう1回やれば勝てる !
とならない保証はどこにもありません。
そんな勇ましい意見に飲まれた人たちは少しでも苦しい、不都合な真実を突きつけられると、認めたくないがために様々な言い訳ばかりして 歴史をねじ曲げてしまいます。
心が弱い人たちには現実は耐えられない。
現実は間違っている。
あの戦争は正しかった。
そんな物語を信じる彼らに悲しい戦争映画を見せたところで受け入れてくれるはずもありません。
全部嘘だ、反日の奴らのプロパガンダ映画だと叫んで狂ったように怒り出してしまうことでしょう。
この映画のように、サクセスストーリーをきっかけにして少しずつ戦争のおかしさについて気づいてもらうところから始めないと手がつけられないと思うのです。
恥ずかしながら私も戦争映画が大の苦手で、これまで正面から向き合うことができませんでした。
この作品が笑って楽しめる結末だと聞いて初めて見る気になったのです。
バッドエンドだったらきっと見ていなかった。
そして見たことによって、これまでの戦争映画では発見できなかった気づきがたくさんありました。
人が死ぬことに慣れていない現代っ子にとってはワンクッション置いた話の方が受け入れやすいのだと思います。
この作品を入り口をして気づいてくれる人が一人でも増えてくれたらいいな。