ぺんちゃん日記

食と歴史と IT と。 Web の旅人ぺんじろうが好奇心赴くままに彷徨います 。

眺めの会・6月下旬 『花束みたいな恋をした』

公開当初から話題性抜群の作品ですね。
見れば誰もが語りたくなるタイプのストーリーのようで、あちこちで繰り広げられる感想をつなぎ合わせるとあら不思議、見てもないのに見ちゃったような気になります。
あまりに語られすぎて一時は食傷気味だったのですが、ネタバレした上で視聴しても心を鷲掴みにされる体験も悪くないと考え直しました。
しかし、見る気満々で待つと解禁までが長い長い。
先日やっとプライムビデオの作品リストで見つけたので 早速ポチり。

視聴プラットフォームアマゾンプライムビデオ。
有料コンテンツとなっています。

花束みたいな恋をした。

2021年に日本で公開された恋愛映画。
監督は 土井裕泰
脚本は坂元裕二
主な出演者は菅田将暉有村架純
上映時間は124分で言語は日本語。

あらすじ。

駅で終電を逃したことをきっかけに出会った麦と絹。お互いに音楽の好みや趣味が同じことを知り、すぐに恋に落ちる。大学を卒業してフリーターをしながら同棲生活をスタートさせ、日々変化する環境の中で日常を共有しながら大切に過ごしていた。この2人での生活を続けるために、就職活動に励んでいく。

見終わった感想 ネタバレもちろんあり。

花束みたいな恋をしたかった。

男女7人みたいに思わせぶりな展開でくっついたり別れたりというタイプの話ではない。
トラックが海に落ちたり先輩が死んだり多少の波はあるが外部的な影響は極力抑えられているので他人に振り回されるストレスはない。
そのぶん人のせいにはできないから 自分の決断の責任は全て自分に返ってくる。
恋愛がうまくいく楽しさとうまくいかないもどかしさに感情をグッと持っていかれる。
ただし、私は学生恋愛の経験がないので酸っぱいブドウ。
一緒にお風呂入ったり髪の毛を乾かしてあげたり、見せつけられるほうがダメージ食うわ。
「どこ見てるんだよ、クソガキが」と罵られそうですが、菅田将暉の演技が上手いのはわかった。
今読んでいる本を見せあいっこするときの ちょっと斜に構えた感じの「ハイ、ハイ」の「分かってるやつキタキタ顔」がすごくよく出来てる。
本人は歌上手いだろうにカラオケではいい塩梅に気の抜けた歌を披露するし。
イヤホンカップル注意失敗した時のやっちまった顔もなかなかできるもんじゃない。
朴訥な語りもいいよね。

あれ?それ、俺!

自己紹介のつかみだけで面白い。
つまらなすぎてをわざわざ言語化しない現象を具体的に、絶妙な角度から次々と切り抜いて言語化してくれるから好感度が抜群。
イヤホンの右と左をシェアするカップルあるある。
イヤホンがステレオなことくらいみんな知ってるつーの。
麦のエピソードを例に挙げると、じゃんけんのルールの非条理を論破、学生アパートに高級マンションのチラシを入れても契約に繋がらないハイ論破、ストリートビューに写り込んでいる自分を発見して自慢するなど。
絹の最近の体験。
新しいセーターをおろしたら焼肉屋に連れて行かれて煙臭くされた、数合わせの合コンに行ったらおじさんから闘病体験を聞かされた、ラーメンブログがちょいバズした。

それ私もどこかで体験した!!そんな錯覚を覚える。
私の場合は特にガスタンクの写真集め。
つい先日私も漁っていたところだ。
病院に行く道に並ぶガスタンクはいつも見てる。
「これをやられると嫌いになっちゃうタイプ」というお題の答え方がいいね。
「UNOで最後の一枚になった時、 UNO って言わなかったことを指摘してペナルティーを与えてくるやつ」と即答。
こいつ面白い。

ド定番の恋愛ストーリー。

世間的には変わり者で割れ鍋に綴じ蓋のようなカップルだけど「恋愛」となれば普遍的。
出会い方、盛り上がり方、すれ違い方、別れ方、どれも定番のわかりきったストーリーではある。
少し違うのは麦と絹にとってのアイデンティティサブカルチャーてこと。
だから普通の人には彼らの話は分からない。
しかしサブカル系の人たちは私よりも 格段上の「これ俺のこと?」と思っただろうね。

2人が愛する作家と作品は実在する。
時代を象徴する有名タイトルとともに時間の流れを把握できるのが辛い。
SWITCH のゼルダとかシン・ゴジラとか、分かる人が聞けば「あーあの頃ね、その頃俺は○○してたわ」とすぐに記憶が出てくるんだろう。
彼らの恋の歴史はサブカル史とともに刻まれる。
好きな作家が新刊を出すたびに恋人を思い出す。
好きな漫画の話題が出る度に恋人と喧嘩したことを思い出す。
「○○編の時に付き合い始め○○編の時に別れた」なんてことも。
ゴールデンカムイの記憶が8巻で止まったまま13巻まで進む時間の流れが特に辛い。
私はグイン・サーガを追いかけきれなくて脱落した後、書店で何気なく進み具合を知った時は別れた女がうまいことやってる近況を知った時に似た感覚になった。
彼らの交際期間は5年。
結ばれなかったひとつの恋愛としては短いようで長い。
観客たちが学生時代を思い出し、彼らとシンクロして「あの時ああしていれば」と思い出に浸る作品なんだと思う。

普通って何だ? 生きがいと生きることと。

成熟した大人の恋愛だってワークライフバランスではすれ違う。
仕事と私どっちが大事?
趣味と私どっちが大事?
なんてね。
彼らの場合は
趣味と仕事どっちが大事?
と言う争点ですれ違う。
そこに「私」が入らないのは オタクカップルらしいが、 絹は趣味を優先、麦は「君」を優先。
趣味でも仕事でもなく君と答えているのにすれ違う。

私にとって一番響くのがここ。
恋愛映画を見ておいて ワークライフバランスの部分しか見ていないというのも失礼な話だけど、プライベートの時間を確保することに全力を注いできたから。

麦は絹との生活の現状維持を目指し、イラストレーターの道を諦めて「普通」の仕事に転職する。
きっかけはイラストの値下げに反発したら仕事を切られ社会の厳しさを叩き込まれたから。
麦の言うとおりイラストは仕事が終わってからでも書ける。
しかし思っているほど上手くいかない。
人は現状維持しているつもりでも成長する。
絹はその破壊的変化をハードルを下げると言う。
普通の社会人として成長した麦は絹のイベント会社への転職を遊びじゃんと見下す。

ここも実体験を伴うからわかるわー。

二足のわらじで簡単にできるもんじゃない。
特別な才能を持たない人は仕事が好きだと自分に言い聞かせてないと「社会人」を続けられない。
組織で働くと価値観ぶっ壊されるんだけどフリーよりも効率よく時間がお金に換わる。動かす金額もでかい。
だから「いつまで学生気分でいるんだろう」なんて気持ちが湧き上がる。
社会に揉まれている人は麦のように感じたのではないか。

惰性でパズドラを遊ぶ気持ちはよくわかる。
私は就職したら RPG を楽しめなくなった。
定期的に給料が入ってプレステを買う経済力がついたのに、ゲーム雑誌を読む時間がないから話題作がどれか分からずジャケ買いした。
気持ちの準備がないからプレイ体験は遊ぶというより作業。
町の武器屋で装備を揃えてステータスが上がっても嬉しくない。
魔法とかアイテムの固有名詞を覚えるのめんどくさい。
ファンタジー世界に飛び込むのは覚えることがありすぎてしんどい。
学生の頃はワクワクしたのに !
大切な時間をこんな作業に費やして良いのか? こんな情報に脳みその容量を使って良いのか? ああこんな遊びに時間を費やすなら出勤してスケジュールを前倒しした方がよかったのでは? やるべきことをやらなかった罪悪感………。

私はどちらかと言うと麦の方の生き方を選択したけど、絹の言うこともわからんでもない。
人生の記憶は生きがいと共にある。
趣味を諦めるということは自分の歴史を失うということ。
麦の歴史は就職とともに空白になった。
NO MUSIC NO LIFEとか言われるけど、決して比喩ではない。
大人になるために自分の歴史を断絶させるとは過酷なことよ。

彼らのこれまでの道のりは美しかったがあと一歩だった。

麦は失敗に終わった恋をサッカー w杯でブラジルが歴史的大敗を喫した時の監督のコメントを引用して「あと一歩だった」と総括した。
歴史的大敗なのにあと一歩なんてコメントは周囲から見れば滑稽なんだけど、それは引き分けが許されないトーナメント戦だったから。
恋愛はトーナメント戦だけど、人生はリーグ戦だよなー。
写真家の兄ちゃんが二人の関係を「引き分け狙いのパス回し」って例えがおかしい。
引き分けには勝ちに等しい引き分けと負けに等しい引き分けがあるが勝ち点1が入るじゃない。
私はそういう価値観。

花束は見て楽しむためだけに作られたもの

結実して種を残すことはない。
次の相手とは野に咲く花のように恋をしてほしい。

最後に気になったのは別れた後偶然町ですれ違った時のこと。
互いの恋人に分からないようにさりげなく手を振るの、あれあり?!