ぺんちゃん日記

食と歴史と IT と。 Web の旅人ぺんじろうが好奇心赴くままに彷徨います 。

投票で確実に変わる一つの事。

今日は参議院選挙の期日前投票を済ませてきました。
私のような障害者は投票と言っても簡単ではありません。
投票用紙に字を書けないし投函もできません。
障害者施設で暮らす障害者の場合はどのように登場するのでしょうか?

施設に出張の投票所が作られて施設内で投票できるようになっています。
字を書けない人は代筆してくれます。

これで投票所までの移動手段は考えなくてよくなります。
在宅期間中は投票所まで赴くのが難儀だったんですよね。
特に冬場の選挙は震えながら車椅子を転がして向かったものでした。
障害があるために投票所へいけないのでは選挙権がないも同然ですからね。
かといって障害者施設の住民の全員投票所まで連れて行こうとするのは効率が悪すぎる。
当たり前っちゃ当たり前なんですけど、油断するとその当たり前が消えてなくなってしまいます。
「口も聞けないような奴に選挙の判断なんてできるわけないだろ」とかいう人もいますからね。
投票率が悪くても同じ。
「どうせ障害者は投票なんてしないんだから投票所用意するだけ金の無駄だからやめちまえ」
なんて意見だって出ます。
同じ建物内で行われているイベントに参加しないなんてもったいない限りです。
我々が当たり前を失わないために、できることはやるのです。
どの政党に入れてもいいんですよ。
誰を選んでいいかわからないから辞めるとかそういうのではないんです。
我々には選挙権があってそれを行使する。
それに関しては政治が変わろうが変わるまいが同じじゃないですか。
自分が入れた一票で社会の悪くなるなんて恐れなくてもいいですよ。
民主主義ってそういうもんです。

ところでタイトルです。
「どうせ選挙に言ったって何にも社会なんて変わらない」
なんていう人よくいるじゃないですか。
実は私もそんな中の一人だったんですね。
しかし、投票してみたら意外にも変わったことがあったんですよひとつだけ。
選挙に行かなかった人が投票することで絶対に変わるもの。
それは何でしょう?
それは自分の気持ちです。
私は選挙に参加したのだ!
という気持ちの変化だけは確実に変わります。
だって気持ちがなければ投票しないんですから。
そして投票したからには結果が少しだけ気になります。
自分が選択した候補者がどの程度頑張ってくれたか、ニュースに意識が傾きます。
たったそれだけでも世界の見え方って全く変わるんですよね。
何度か投票を経験すれば最初は分からなかった政治の話も少しずつわかるようになってきますし。
誰だって最初は上手に出来ないものですよ。
成人して選挙権が得られたからといって、すぐさまにエレガントな 候補者選びができるわけありません。
大人なんだから出来るのは当たり前なんてハードルあげなくていいです。
大人だからではなくやっと成人したのですよ。

副産物として「お前選挙に行かなかったの?俺は大人の義務として言ったけどね」という謎のマウントを取ることも出来るようになります。
動機なんてそんなもので十分です。
みんなもっと気軽に投票しようぜ。