ぺんちゃん日記

食と歴史と IT と。 Web の旅人ぺんじろうが好奇心赴くままに彷徨います 。

学びて思わざれば則ち罔し。

今週も論語を disる時間。

タイトルは論語の中の有名な一説ですね。

学びて思わざれば則ち罔し。
思いて学ばざれば則ち殆うし。

勉強しても復習しなければ身につかないし、ろくに勉強もしないで勝手なことをやり出せば危険であると。
そんな意味合いですね。
大変良い事を言っていると思います。

しかしながら、孔子が学んだのは儒教、中でも礼儀作法なのであります。
その当時は資格試験も役に立つ勉強もなかったんですね。
今でいう学校の勉強とは全く違います。
もし学校の先生がこの一節を取り出して「だからお前らも勉強しろ」と言い出したら大いに異を唱えてくださいね。
では一体どんなことを学んだか?
冠婚葬祭の席などで粗相をしでかして恥をかかない欠かせないためのマナーを学ぶのです。
結納をする時などでは仲人が門を叩いて、挨拶するセリフだけでなく家に訪問する方角まで決まっています。
持ってくる結納品並べ方並べる順番まで決まっていて、儀式の段取りまできちんと決まっています。
スピーチの際には縁起の悪い NG ワード があることや招待状の返し方についてはバラエティ番組でも時々取り上げられます。
こういった日本の冠婚葬祭も古くをたどれば、孔子が学び教えたところにたどり着きます。
儒教の開祖は孔子とされていますが、彼が発明したわけではなくて、昔から伝わっている宗教儀式をもう一度見直そうと呼びかけただけであって、ずっと古くから行われてきた風習なんですね。

この時代は徐々に序列が乱れ実力主義成果主義が横行していました。
競争に精一杯で冠婚葬祭にうつつを抜かしているような世相ではありませんでした。
高貴な家柄なのに落ちぶれたり、卑しい身分ながら高い役職に取り上げられるなど秩序も乱れてきます。
序列が不透明になると役職が高いと思い込んでいる人に上座に案内しなかったり、料理の内容が役職に見合っていないと怒り出すなどのトラブルが次々と発生していきます。
そんな秩序を回復するための最強のやり方が「いにしえの聖人たちが定めた古き良き礼儀作法をもう一度リスペクトしましょう」だったわけです。
もはや宗教ですね。
ていうか宗教ですけど。

ということを考えながらもう一度この一節です。

学びて思わざれば則ち罔し。
思いて学ばざれば則ち殆うし。

金を払えば説教を聞かせてやるが、実践しない奴は救いようがない。
これ等の許可なく勝手なマナーを作り出すやつはボコボコにしてやるからな!

という具合に聞こえてくるのは私だけでしょうか?
多分そうですね。
以上入ってないことを読み取るマンでした。

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)