ぺんちゃん日記

食と歴史と IT と。 Web の旅人ぺんじろうが好奇心赴くままに彷徨います 。

やれやれ、「天命」なんてものを知っちまった日にはじっとしているわけにはいかねえなあ

さてっと………。
そろそろやっちゃいますか。

あいたたた。
ちょっと少年漫画テイストで攻めてみたんですけど、普段やらないことをやると大火傷するという好事例ですね。
五十歳になって何をやっているんだ!?
そろそろ大人らしい落ち着きを見せて欲しいもんですね。
私、気づいたら50歳になってたんですよ。

論語には「五十にして天命を知る」なんてあるから、五十歳を迎えれば人生をかけて打ち込むべき何かが見つかるものかとスイートに考えていましたが、 だらだら生きているようなやつに人生の節目を迎えた新たなスタートを切る気持ちなんて沸き起こるはずもない。

天命を知るの意味、 自分が何かを成し遂げることを運命付けられているということですからね。
私は神に選ばれたと言っているようなものだから、相当な自信がなければ言えたもんじゃありません。
伊能忠敬という人は五十歳を過ぎてから日本地図を作りましたが、そんな感じです。
「私はこれから人生をかけて日本地図を作ろうと思う、私がこの世に生をうけた理由は、神がそのように仕組んだからだ」
なんてね。
かっこいいね、男として生まれたならこれくらいのこと言ってみたいね。

何者にもなるつもりすらない私ごときは自分の残りの寿命を悟って 自分の人生の虚しさを嘆くような意味合い だと考えた方が気が楽です。
いやいや、 人生100年時代、五十歳まで生きるだけでも大変だったのに、八十歳まであと30年もあると想像しただけで気が遠くなります。
30年前って二十歳ですよ?
この30年、時間感覚としてはあっという間でしたが、 劣化していく己と向き合う時間はなかなかのものでしたよ?
あー恐ろしい。

ゴミみたいなポエムを原稿用紙2枚を書き連ねて 51歳に向かおうとするんだからいい気なもんですね。


ぺんじろう先生の今後の活躍にご期待ください。