ぺんちゃん日記

食と歴史と IT と。 Web の旅人ぺんじろうが好奇心赴くままに彷徨います 。

眺めの会・10月下旬 レディ・プレイヤー1

メタバースってバズってますね。

最近各種メディアで VR ゴーグルを使った VR 体験の話題を頻繁に目にします。
そこで全面に押し出されるの「メタバース」と言うバズワード
VR 関係が好きな人にとっては今更な話題ですが、だいぶ一般化してきましたね。
コロナ関係でライブが 自由に開催できなくなっており、 VR 世界が注目されているのだと思います。

そこで眺めの会でメタバースを扱う映画をみようと思いました。
そろそろ洋画の順番なので、レディプレイヤー1を選んでみました。
VR ゴーグルを被って何かする映画だと言うことだけは知っていて、以前から度々話題になって気になっていたのですよね。
それが昨今流行りのメタバースの概念と一致しているのかどうかは知らないけど、その辺は深く気にしないで行きます。

作品のことをまったく知らないので、監督がスティーブン・スピルバーグだと知ってびっくり。
そりゃ鉄板映画ですわ。
作品が3年前に公開されたものなので、今のムーブメントと比べると少し世界観が古いだろうと予測します。
コロナ禍の前の作品だしね。
地上波でも放送済みではないかな?
情弱の私が知らないだけでみんなが知ってて見てる作品だと思います。

視聴プラットホームは Amazon プライムビデオ。
プライム会員特典で無料で視聴できます。
吹き替えと字幕では字幕版を選択。
デジタル世界の業界用語 が含み持つ微妙なニュアンスはヘタに翻訳した台詞よりもアルファベットそのままの方がわかりやすいので。


レディプレイヤー1。

2018年に公開された 近未来を描いた SF 映画。
監督はスティーヴン・スピルバーグ
脚本はアーネスト、クライン、ザック・ベン。
原作はアーネスト・クラインの『ゲームウォーズ』
主な出演者はタイ・シェリダン、オリヴィア・クック、ベンメンデルソーン、 TJ ミラー、サイモン・ペグなど。
上映時間は140分で言語は英語。
日本語吹き替え版もあり。

あらすじ。

西暦2045年、テレビゲームは発展を遂げ、 VR ゴーグルによるリアルな体験ができるようになった。
その一方で社会は不安が募る一方。
現実世界に嫌気がさした人々は仮想ゲーム世界にのめり込むのだった。
その中でもオアシスという伝説のゲームは特別な人気を博していた。
なぜならゲーム作者の遺言によりゲームないの隠されたアイテムを探して謎を解けばゲームの運営の権利を譲渡されるからだ。
その価値は5000億ドル。
コロンバスのスラム街に住む若者、ウェイド・ワッツは ゲームプレイヤーパーシヴァルとして謎に挑戦するのだった。

原作について。

原作は2011年にアメリカで出版された小説レディプレイヤー1。
2014年に日本語にも翻訳されたがこの時のタイトルはゲームウォーズ。


見終わった感想とネタバレ。

テレビゲームの素晴らしさを伝えきったエンターテイメント作品。

想像の上をいく楽しさでした。
青春時代をテレビゲームで過ごしてきたアラフィフおじさんの私が大興奮。
VR ゴーグルのゲームだから若者向けに調整されているのかと思いきや、 おじさんにしか分からないようなネタの連発でした。
洋の東西を問わず、ゲーム・アニメ・映画・音楽など、80年代を中心としたポップカルチャーが大集合。
スーパーロボット大戦のような、各社入り乱れての大乱闘。
版権の交渉だけでも大変だっただろうね。
スピルバーグの名前がなければ、いやあったとしてもさぞかし難航したことでしょう。
それを象徴するのが、映画開始直後で流れる Van Halen の「ジャンプ」
あの音を聞いただけで「あー80年代」って気持ちになります。
作者の好みで強引に突っ込んだわけではなく、物語のオチをジャンプにひっかけて全体を80年代で包んでくれています。

世界に隠された宝を探す冒険で少年少女が出会って結ばれる展開はベタベタなサクセスストーリーですが、だからこそエンタメ作品としてはお手本と言えます。

有名キャラ大集合的な作品は、 キャラクターの引用具合のクオリティーが出し切れてないと、ファンの愛情を裏切ることとなり、 大失敗に終わる事例が過去にあったりなかったり?
この作品では CG を使いまくった最高のアクションで うるさ型の古参ファンもニッコリ。
地下通路から見上げるキングコングの動きが大胆でかっこいい。
アバターのスキンをベリッと剥がす時の質感もゲーム内ならでは。
すごく丁寧に作られていて没入感抜群でした。
ゲーム世界の映像を CG 化しているだけあって、全く違和感がない。
ずっと楽しいことの連続でした。


この映画が伝えたいことはとってもシンプル。
「テレビゲームって素晴らしい」

これまでテレビゲームは根暗な子供が部屋に閉じこもって一人で遊ぶものだとして、カルチャーの中でも最も下に見られて悪者扱いされていました。
作品の中でも、ハリデー(仮想空間オアシスの作者)の幼少期は他人との接触を断って没頭するのがゲームでした。
ゲームに限らず、漫画、アニメ、エンタメ映画など、新しいカルチャーは常に低俗なものでした。
しかし時代は変わり、映画は一足先に市民権を得たようです。
映画のコンテンツパワーがゲームとの相乗効果でより魅力的に拡張されることが存分に証明されました。
「あのデロリアン」を自分が運転できるなんて夢のようです。
それを自分だけが自分の部屋でこっそり楽しんでいた時代から、ネットワークの向こうのプレイヤーに見せびらかすことができるとは。
人と繋がると社会が形成され、そこに価値が生まれるのです。
ゲーム内ではネットワークを通じて世界中の誰かと、国籍、人種、 年齢、そして性別まで超えて仲間と巡り会えるものになりました。
テレビゲームは大きなコミュニティを形成することができ、 リアルで例えるなら、居酒屋であり、ゴルフ場であり、 登山道であり、 人によっては職場になり得るのです。

もちろんこれはゲーマーの主観がたっぷり入った感情の高ぶりです。
ioi の役員のソレントのように、ゲーム世界が壊れても何の痛みも感じない、物理の世界だけで生きている人もたくさんいるはずです。
しかしこれはゲーマーが夢を語る映画。
夢くらい見させて欲しい。
少なくとも現代のゲーマー達は、現代のゲームシーンはこんなに情熱的で、未来にはこんなゲーム世界が待っている、そうなってほしいと期待しているのです。
ひとつの歴史の記録として、巨匠スピルバーグが作ったという点において大きな価値があると思います。

宝を集めてカリスマプレイヤーとなったパーシヴァルの呼びかけで世界中から人々が集まってくる ところは現代のゲームプレイヤーの情熱をよく表していると思います。


そして見逃してはならないのが創造主ハリデーのゲームを通じた出会いです。
ゲームで仲間を得られるのはプレイするだけではなく、作ることでも出会えるのです。
それを意味するのが、ハリデーの過去への 執着が女性との交際でジャンプできなかったことではなく、ゲームパートナーとの不和だったところ。
ゲームを作っている時の幸せは、自分の理想の世界が出来上がっていくことよりも、その世界で人と人とが楽しく絡み合っている時に感じたのではないでしょうか。


その他いろいろ感じたこと。

2045年の時代設定だから、映画に登場する若者たちは今の若者たちの子供の世代であると思われます。
ゲーム制作者のハリデーは私と同じ世代ぽいので、主人公のパーシブルは孫の世代にあたりますね。
製作者の趣味嗜好に合わせて作ったゲームなので世界観がいささか古臭い。
若者たちが 80年代のゲームカルチャーに付き合ってくれるのでしょうか?
私としてはゲームクリエイターもっと若くあってほしい。

歴史の評価が定まっていないゲームキャラを登場させるのも難しいからか、ハードウェアの進歩よりはゲームソフトの進化が遅いのでは?
そのハードウェアの進歩も「そっちでいいのか?」と思ったり。
自分の肉体を動かすよりも指先のコントローラーと視線で操作した方が長時間プレイに耐えられるのでは?
バックトゥザフューチャーで2018年の答え合わせをしてしまったけど、同じように2045年のゲームプレイヤーはこれを見て苦笑いするのだろうか?

ダメージを負った時にお金が噴出する演出がいいですね。
ゲーム世界では古くから、私の記憶ではファンタジーゾーンあたりから倒されたキャラはゴールドに化けると決まっているものの、 映画で見るとまた新鮮。
映像作品では流血は NG とされるから、 血液の代わりにゴールドを流して 痛みを現せば良いって、なかなかの抜け道発見でした。

ゲームで勝てないからリアルに攻撃を加えるあるある。
本名を明かしてはならないところがファンタジー世界の名前を取られると支配される設定に似ていておかしみがありました。


地下帝国の強制労働のイメージが古すぎる。
なんでもありのデジタル世界で何故肉体労働なのか。
3 d モデルをちまちま作ったり広大なマップを作ったりじゃないのか。
そうでなければゲームに忙しい金持ちプレイヤーのリアルな肉体のメンテナンスという名の介護ではないのか。

レディプレイヤー2に期待。

すんごく面白かったので続編が是非とも欲しいな。
10年スパンで継続的に作ってはどうか。
と思ったら、すでに続編が起動しているみたいですね。
でも現時点で着手するには少し早いのでは?
その頃までにゲーム内の人間社会が崩壊してないといいけど。