ぺんちゃん日記

食と歴史と IT と。 Web の旅人ぺんじろうが好奇心赴くままに彷徨います 。

眺めの会・12月上旬『ゴッドファーザー最終章』

誰もが名作と評価するゴッドファーザー。教養としてみることに。
三部作とは知らずに手を出してしまいましたが、ついに決着をつけました。
「パート3」という第3部っぽいタイトルがあるけど、これは視聴できない。
2020年に再編集されたのが「最終章」
公式的にはこっちが最新版らしい。
字幕と吹き替えが用意されている。私は字幕を選択。
視聴プラットフォームは Amazon プライムビデオ。
年齢レーティングは PG 12。

ゴッドファーザー最終章。

1990年に公開されたアメリカのノワール映画。
マリオ・プーゾの小説が原作となっている。
マフィアのドンとして君臨するマイケル・コルレオーネの人生を描いた三部作のうちの第3部、完結編となる。
2020年に再編集された。

監督はフランシス・フォード・コッポラ
脚本はフランシス・フォード・コッポラマリオ・プーゾ
主な出演者はアル・パチーノダイアン・キートンアンディ・ガルシアタリア・シャイアイーライ・ウォラック
上映時間は158分で言語は英語とイタリア語など。
年齢レーティングは PG 12。

見終わった感想 ネタバレあり。

親から子へ、そして孫へと物語は完結に向かう。

第2部で盛り上がった気持ちを受けての第3部。
アメリカを牛耳って活躍の舞台はグローバルに。
裏稼業に手を染めなくても安全になったことから徐々に表の仕事に軸足を置いていく。
ここでキリスト教会の幹部に投資詐欺で騙されてしまい、聖職者は上辺が立派なだけでマフィアより金に汚いことを知ることとなる。
反撃の糸口を探っている間に教会がマフィアとズブズブの関係と発覚。
強くなればハッピーになれると信じて努力してきたマイケルだったが、裏稼業と手を切れない。
むしろ、権力を持つほど敵が意地汚くなる。
「政治と犯罪はコインの表と裏」というセリフが全てを物語っている。
次の法王を決めるコンクラーベの成り行きが勝敗を左右するとは話がでかい。
しかし、この手の物語は刑事ドラマで手垢が付きまくっているので「知ってた」という感想しか出てこない。
私を残念な気持ちにさせたのは最終局面。
話が急展開すぎて訳が分からない。
特にオペラの観劇で狙撃されるかされないかの緊迫した場面。
ドキドキしたが、娘が撃たれるまでのバタバタが散らかりすぎて頭が追いつかなかった。
顔認証がバグっているから誰が誰を倒したのかいまだにわからん。
ただ人が死んでいくのを見ているだけで、ファミリーが勝利したのか敗北したのかすらもわからない。ただ残酷なだけ。結構引いてた。
原作を読んであらすじを抑えるなど事情が飲み込めている人にはちょうど良いスリル感が味わえるのだと思う。
カトリック教会を知らないところが相乗効果を与えている。
おそらくは最も感動的なシーンであろう懺悔の場面も馴染みがなさすぎて想像力を要求される。
オペラの内容もわからないので日本人にはずいぶんなハンデだと思う。

ファミリーの物語なのに前作まで大活躍していた敏腕弁護士が出てこないことにはがっかり。彼の消息について言及すらされていないように見えた。血が繋がってないからって冷たいじゃないか。
まあそれでもドン・コルレオーネの座がマイケルの兄ソニーの子に渡ったところはよかった。
世代交代が描かれるドラマは良いね。
その結果が良くても悪くても。
マイケルはあんなに頑張ったのに何一つ思い通りにはならなかったもんね。
家族を守るために権力と富と名声を欲っしたのに、大事なものは失っておまけだけがついてきた。
三世代を通して描ききったスケールの大きさは素晴らしい。
パート3単体で見ると期待外れだったかな。

ネックウォーマーはやっぱり暖かかった

ネックウォーマー。
暖かいですよね。小学生でも知ってる。
寒がりなんだから使えば良いのですが人生において未経験のネックウォーマー弱者。
「首に引っかかって事故が起きないか」「頭が滑って転倒しないか」などなど、無駄な心配をして最後には「めんどくさい」で終わらせてました。

しかし今年は少し事情が違います。
節電です。電力不足の冬です。
エアコンの設定温度は抑えられ、寒さに耐える日が続くと予想しています。
そこで今年こそはネックウォーマーを用意しました。

自分に合うネックウォーマーが分からんので、かみさんに頼んで適当に見繕ってもらいました。
たぶんユニクロで買ってきたと思います。ここで当該商品を提示したいところですが、ユニクロは商品ページをリンクしづらいので画像なし。

ユニクロ公式 | ヒートテックネックゲイター

使ってみるとめちゃくちゃ暖かい。
もうダントツで効果あり。
襟元からこんなに熱が逃げているとは予想しませんでした。
一度使っちゃったら、もう無しの生活には戻れません。
久しぶりに良い買い物をした。

…と思ったその矢先。
東京都知事が「節電のためのタートルネックを着ましょう」などとアピールし始めたので恥ずかしくなって 捨てたくなりました。
政治家はこういうこと言わないでくれないかな?
日本人は自意識過剰なんだから消極的な賛同者はやりたくなくなっちゃうよ。

www.bbc.com

結局「百合子に言われたからやってるわけじゃないからね」と予防線を張りながら羞恥心を押し殺して使ってます。

就寝中も暖かいのではないか?
と試しにネックウォーマーをつけたまま寝てみましたが、これは失敗。
確かに暖かいのですが、素材のチクチクが気になって痒くなりました。
敏感肌とは縁遠いタイプにも関わらずムズムズが止まらないので長時間使わない方がいいです。
日常生活の間なら上着もあるので直接肌に触れなくても済みますけどね。
もっと乾燥する季節になれば刺激に耐えられず使用をやめるかもしれません。
皮膚がデリケートな方はオーガニックコットンの素材を使用したものを選んだ方がいいかもね。温かさと伸縮性が犠牲になるかもしれませんけど。


三国志 (宮城谷昌光版) を読んで

宮城谷三国志に手を出したのが2年前。
三国志が読みたいと衝動的に突き動かされてのことだった。
ずいぶん時間をかけて、難航もしたが、なんとか読破できた。
一冊ごとの感想はすでに書いてきたが、作品全体の感想をしたためたいと思う。


実は第1巻の時点で全体の印象をコメントている。
今読み返してみたが、印象に大きな差はなかった。重複する点も多いが、完結まで世界観がブレなかったことの証左だと思ってもらえるとありがたい。

yasushiito.hatenablog.com

骨太剛健な世界観 オススメ度は3.0(5.0中)。

作品の面白さを点数化するのは俗っぽくて好みではない。
しかし現代社会は時間効率が尊ばれるのでひねり出してみた。 レビュースコアだけを参考にする人はこのスコアを見て引き返した方が身のためだろう。むやみにはおすすめしない。
私の純粋な評価は4.0。この作文をまとめながら2周目に突入しているが、断然面白い。

序盤は歴史を遡って説明することが多く、中国史初心者にはとっつきにくい。そして漢字の圧力が心をくじく。
この独特の漢字使いこそ宮城谷作品のうま味なのだが面食らって漢字と喧嘩すると立ち行かなくなる。全部理解しようとは思わずルビだけ追いかければ大丈夫だと思う。ルビがないものも雰囲気で読み流してもOKとしよう。重要な所には注釈が入る。
注釈はありがたいこともあるが、見通しを悪くしているところもある。「故事を引用した上で偉人の生い立ちに注釈が付く」といった具合に、「注釈の注釈」が付くこともある。歴史の大筋に関係ないところは脚注とかコラムに分離して欲しかったのが本音だが、それじゃあ小説じゃなくなってしまう。
大きな事件や紛争はあらかじめ Wikipedia で筋書きを抑えておくべきか。ここで評価が-0.5。
もう一つの減点ポイントは地図が不親切すぎる。小さすぎて見るのを諦めた。
光栄ゲームのお陰で大雑把な地図がイメージできてたけど、知識の解像度は低いので三国志のファンサイトに頼ることもあった。
土地勘を養うのは小説には不得手なので、小説にこだわらず漫画・ゲームなど複数の媒体で楽しむべきか。

三国志は演出がなくても面白い。

歴史的事実の点と点を補助線を引いてつなぎ合わせるのが歴史小説
その補助線に色をつけると歴史がドラマチックに脚色される。
そこが小説家として腕の見せどころ。
だけど 宮城谷三国志では信憑性の薄い逸話は可能な限り削ぎ落としている。歴史観陳寿を尊重している。
ということは、作家としての自由度が制限されて主張が控えめになってしまう。極端な話を言ってしまえば陳寿を参照した Wikipedia との重複率が高い。
(競合相手にWikipediaを持ってくるのは小説家に対して失礼)
もちろん、正史原理主義ではない。様々な資料を集め、時には陳寿に逆らって、足りない部分は想像で補いながら、陳寿には無かった倫理観を交える。例えば、儒教では嫌われる宦官の苦しみに触れ、宦官の家系の曹操の立場の複雑さを描くなど偏りを極力排除していた。
固い見方をすれば宮城谷の手によって編纂された歴史書といえる。と同時に小説としての面白さが編み込まれている。
過剰な演出など無くても歴史は面白い。
三国志演義は創作も込みの奇想天外な演出で脚色され、その面白さは歴史が認めてきたものではあるが、宮城谷三国志の面白さは骨太で迫力がある。
登場人物の生き様に血が通っていて 読者の思い入れが入るように描かれる。曹操の才能の愛し方が一途で可愛い。董卓のふてぶてしさがむしろ気持ち良い。趙雲の長坂の単騎駆け抜けがあんな扱いとはがっかりだムキー。
作品上では公平に扱われているように見えるが、採用されなかった部分に作者の好き嫌いは出てくる。

歴史のダイナミックさを堪能できる。

宮城谷小説が本領を発揮するのは政治闘争のメカニズムを味わえるところ。地の文が強いんだ。
時代を彩った英雄たちが、自分の信念を貫いていがみ合っている。野次馬にとってこれほど面白いものはない。
宮城谷三国志で面白いのはここ。

  • 時代を動かす人物登場。生い立ちと人物評を紹介
  • 現在の状況と成り行きを整理。各人が利益を突き詰める
  • 利害が衝突して人がぶつかり合う。血みどろの戦い。
  • 勝敗がつき、新たな局面へ

時代は変わってもこの構図は常に同じ。権力のボールがころころと不安定に転がっていく様子はまさに歴史のダイナミズム。
皇帝、皇后、皇族、政治家、宦官。みんな立場が違って価値観も違う。みんな生き残るために必死に頑張っているんだ。
歴史的には悪人とされる人も自分の役割を果たしただけ。政治の仕組みが人をそうさせているという視点で歴史を俯瞰できるところが良い。人物の描きかたに悪意がないところはバランスよくて不快感を抱かずに読める。

権力闘争は色濃く描かれるが、情景描写は少なめ。
世界の色とか空気感は修飾されていない。 映像は自分でイメージすることになる。
そこを補ってくれるのが漢字。豊かな語彙と漢字の使い分けが人物の心情を簡潔かつ的確に、肉感を持って伝えてくれる。漢字の使い方でこんなに緩急がつくと思わなかった。
人物像が鮮やかに描かれ、顛末だけの味気ない Wikipedia が生き生きとした英雄の姿で読めるようになった。妄想が捗る。

三国志演義では得られなかった奥行き。

ここからは三国志のの印象がガラリと変わった部分をだらだらと書きたい。

名門袁家の泥仕合

三国志演義では劉備曹操が絡んでいないエピソードがカットされる傾向がある。英雄たちが何を考えて動いたのか見えづらく三国志の薄っぺらなものにしていた。しかし、袁紹袁術の揉め事がどんな事情だったかよくわかった。
両者の影響力の大きさをきっちり描くことでより面白くなった。

諸葛亮が死んだ後はつまらない?

その意見は偏見です。
蜀の記述が圧倒的に少なくなるから劉備に偏っている人がそう見えるだけ。
歴史を俯瞰する立場で見れば断然面白い。
特に宮城谷三国志では歴史の遡りが少なくなることもあって、小説としての面白さが加速していく。三国志演義しか読んだことがない人はここから読めばいいのではないかと思うくらい。
三国志」って「三国成立」した時代の物語だからね!

在野の士、辟召を無視

三国志の世界では名のある儒者が仕官せずにぶらぶらとしている。
病と偽って出仕しないことすらある。
現代人的感覚では「大臣のポストを用意されて断るの?」と、ピンときてなかったがやっと腑に落ちた。
今の政治家だって支持しない政党からの出馬要請は断るわ。落選して無職になった候補者でさえ断るよ。政敵の誘いを引き受けたら一生国民から非難される。
野に下る心意気が将来の出世につながってるんだ。
政権交代が起きたら皆殺しにされる社会での処世術にも合致している。
ちなみに「辟召」について調べてみたら。漢特有の制度らしい。知ったかぶりで用語を使うと恥をかくね。
辟召とは、茂才・高簾の正式な登用ルートを通らず政府高官の個人的な評価で抜てきすることを指すようだ。現代でも経済学者が政策ブレーンとして利用されることがあるね。採用基準が不透明だから政治的立場が強いとは言い難いらしい。

神秘的なエピソードも収録。

超常現象に導かれて数奇な運命を辿る人の話が当時の世相を伝える。
占いとか不思議な夢、民衆の歌に隠された意味が未来を予知するとか。
自然災害が連続すると大臣が罷免になって元号が改められる。政治がまだまだスピリチュアルを兼ね備えていた時代。
人相見が面会してくれただけで噂が広がって出世の糸口が開けるとか。
これだけ怪しい話があるのに孫策を呪殺した佐治の話、諸葛亮が東南の風を起こすなどは除外されるのが物足りない。

上方修正、下方修正。

皇甫嵩の評価の高さに驚いた。歴史の中に埋もれた人にここまでの評価をする人も珍しい。
呂布が勤王の人とされているのも不思議な感じ。少帝の殺害事件もあったと思うが、董卓を殺せば全てが許されるのだろうか?
王朗は大物だった。孫策にいじめられ虞翻に見放され孔明に論破されて憤死する人だと思ってた。
曹丕は意外と評価が伸びない。人格的な欠点があったことを繰り返し記述している。
張飛の存在感がほとんどない 。許褚に至っては……。政治の事に口出しできない用心棒的ポジションでは評価が低くなるようだ 。一騎打ちのエピソードが好きな人には期待はずれだろう。
三国志演義の演出がそれだけ華があるということだ。

英雄たちよ安らかに。

1800年近く後の外国人が好き勝手にエンタメコンテンツにしてごめんね。
でも面白いんだ。君たちあってこその三国志だよ。
そして、この面白さを逃さずに語り継いだ人たちには感謝したい。

眺めの会・11月下旬『シンウルトラマン』

「期間限定」とか「あなただけの特別なサービスです」とか言われると弱いですね。
Amazon プライム独占配信でシンウルトラマンの配信が始まった、しかも会員特典で無料と聞いたので誘惑に負けてしまいました。

視聴プラットフォームは Amazon プライムビデオ。
プライム会員特典で無料で視聴できます。
年齢レーティングは全年齢。

シンウルトラマン

2022年に公開された日本の特撮映画。
特撮テレビドラマ『ウルトラマン』を現代的に仕立て上げた作品。
監督は樋口真嗣
脚本は庵野秀明
主な出演者は斎藤工長澤まさみ
上映時間は113分で言語は日本語。

あらすじ。

日本国内に正体不明の巨大生物が出現。
頻発する怪獣の被害を重く見た日本政府は対策チーム科特隊を編成する。
人類が怪獣退治に苦戦している中、突然人間型巨大生物が現れて暴虐の怪獣を倒す。
その人型巨大生物は知性を備えて、人類と協調できそうな様子を見せる。
その巨大生物はウルトラマン命名された。

見終わった感想 ネタバレには配慮せず。

ウルトラマン直撃してないので …。

それなりには楽しめたけど 童心に返って楽しめたかと言うとそうでもない。
ウルトラマンの面白みってこういうところだっけ ?
知的地球外生物との政治的駆け引きが話の中心で 内容はどちらかと言うと大人向け。
登場人物も大人ばかりで子供が感情を入れ込むポイントはなかった。
大人が見るにしてもウルトラマンが人類を守りたくなった理屈が大人を納得させるまでに十分ではなかった。
ウルトラマンを現代的にとらえたというよりは、おじさんのためのウルトラマン
ゴシップ紙だったら「ウルトラマンよ、日本を守りたかったら怪獣よりも少子化と戦え」なんて見出しで貶してたかも。

怪獣との格闘はよく動く。
序盤の情報密度はシンゴジラっぽくて興奮した。
ウルトラマンの性能プロモーション的な演出としては申し分ない。
ただ、本当に描きたいのはそこじゃないっぽい。
何しろ序盤の展開が早い。
ウルトラマンが人間の味方だと分かるまでも早い。
神永の挺身に感動したウルトラマンが人類に命を捧げようと覚悟するまでの展開も早い。
テレビドラマだったらここを深く掘り下げる時間が許されただろうが、ウルトラマンに感情移入するまでにクライマックスに入ってしまったので残念。
ウルトラマン直撃世代だったらゾフィーとの対立は説明無しでもわかったのかもしらん。
そんなところが引っかかって、ゼットンとの戦いでの盛り上がりは今ひとつだった。
カタルシスがない、とでも言えばよいだろうか。

メフィラス星人と居酒屋でサシ飲みするところが最大の見どころだろうか。
ありふれた日常の中で人類存続の交渉が行われていると思うとゾクゾクする。
もしかしたらこの瞬間、地球のどこかで誰かが異星人と交渉しているかもしれないと想像させる力があった。
後ろで流れている BGM が、また大衆居酒屋独特の空気感があっていいね。
あの曲調はイマドキ大衆居酒屋に行かなければ耳にしない。
日常をリアルに描くからこそリアルな恐怖がある。
日常に潜む恐怖といえばゼットンの攻撃。
地球最後の日が予告なくやってくる。
何も知らないまま働いたり遊んだり。何も知らないで日常を過ごす人類の幸福そうなこと。ブランコの上でメフィラスと会話する場面で子供達が遊ぶ姿を前振りしていたことで一層の恐怖となった。

分かりやすく楽しめたのは浅見弘子の巨大化。
クソワロタwww。
無表情でビルの窓にエルボーを食らわせ、パンプスのヒールでビルをぐりぐりしているところは笑えて仕方なかった。下衆な想像ばっかりしてごめんね。
お風呂に入らないまま匂いクンクンとかいじられすぎ w。
SNS で晒し者になっているところをフォローするメフィラス星人の紳士的なところよ。
最後の出撃の場面で今にもキスしそうなムードだったけどやらなくて正解。
子供には不適切だし、大きな子供には面白くない。
ハリウッドだったら間違いなく行ってたけど日本作品だから。

ウルトラマンのシンボル、カラータイマーが省略されたデザインだったことに驚いた。
短期決戦で勝負がつくので あの展開ならなくてもいいね。

三国志を読み返す 宮城谷昌光・三国志 第12巻の感想

宮城谷昌光三国志、全12巻中の最終巻となります。

これまでの流れ。

老齢になった孫権は女・子供に甘く、男に厳しくなる。
皇太子を年長の孫和から末子の孫亮に変えて派閥を分裂させる。

魏では曹爽の威勢が天子を上回り、司馬懿は曹爽を恐れて隠居。
いよいよ曹爽の時代がくるというとき、司馬懿が政変を起こして曹爽を失脚させる。
司馬懿は曹爽の一族を滅ぼして司馬師に後を譲って死んだ。

孫権が死去し、孫亮が即位。諸葛恪が後見する。
諸葛恪は魏の合肥を苛烈に攻めたが敗退して国力を大きく損なった。
それでも戦うことをやめないので孫亮の許しを得て孫峻が諸葛恪を暗殺する。


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第12巻 三勇相打ちて三国時代終わる

魏では司馬一門の地位が極まり、皇帝を廃位するほどの力を持った。
司馬懿司馬師司馬昭と既に三代を重ねて権力を確かなものにした。
地方では毌丘倹、文欽そして諸葛誕が反乱を起こしたが鎮圧。
反乱に同調した呉、蜀が侵攻してきたが跳ね返した。
中央では皇帝の曹髦が立ち上がったが司馬昭の腹心賈充が返り討ちにした。
皇帝を弑したにも関わらず司馬氏に反抗できる者はいなかった。
弱体化した蜀に侵入すると、皇帝の劉禅を降伏させた。

呉では年少の皇帝孫亮を操る傀儡政権が続く。
諸葛恪、孫峻、孫綝と三代を重ねて不安定な権力移譲が行われた。
孫亮は主導権を奪還するため孫綝の殺害を試みたが失敗。孫綝に帝位を剥ぎ取られる。
孫綝は孫休を帝位につけたが孫休は孫綝の誅殺に成功。
皇帝が権力を取り戻した。

蜀では姜維が繰り返し魏を攻めるが国を疲弊させるだけで目ぼしい進展はなかった。
魏の鍾会と鄧艾が大軍で侵攻してくると姜維が抵抗。
しかし、鄧艾が裏道を抜けて防衛線を突破すると劉禅が降伏してしまう。
姜維は諦めずに鍾会をそそのかして鍾会と鄧艾が争うように仕向けた。
鍾会と鄧艾は戦死したが、姜維も乱戦の中で死んだ。
蜀の再興の夢は断たれて三国時代は終わった。

読み終えて。

走り切った……。
残りページが少なくなってくるにしたがって物語の締めくくり方に注目が集まった。
この長い物語のはじまり「楊震の四知」(天知る 地知る 我知る 汝知る)に帰ってきた時は胸の中に涼しい風が流れた。
歴史なんて、見るものの主観によってどうとでも解釈できる。
歴史上の偉人が何を考えてどうしたか、など「我の勝手だ」と言われれば歴史の傍観者の見立てなど妄想と大差ない。
「歴史を作っているのは我なんだぞ‼」
そんな偉人たちの声が歴史小説で興奮する私の心の片隅をチクっと刺してきた。
しかし、歴史の当事者だって人に功績を認めて欲しくて前に進むのだし、傍観者がいなければ偉人たちの人生は時間の流れにさらされて沈んでしまう。
歴史とやはり我と汝が作るのなのだ。
そんな締めくくり方に救われた。

長く苦しい2年間の読書体験だったが今は充実している。
勢い余って総まとめの感想文まで書いてしまった。

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さて、ここからは三国志のオレオレ解釈です。

なぜ司馬氏が天下を取れたのか考えるに、司馬氏の特異点が二つ。
第1に一族の結束力の高さ。第2に死ぬタイミングの良さ。
司馬懿は8人兄弟の次男。子沢山で9人の男子を得た。
一族郎党で重要ポジションを独占したら一人くらいは不正を働く人が出るものだ。身内の失敗には甘くなる。順序を超えて兄弟喧嘩にもなるだろう。
しかし、司馬氏は綻びを見せなかった。
特に司馬孚の生き様が素晴らしい。司馬孚は司馬懿の弟。
兄の司馬懿だけでなく、甥の司馬師司馬昭にも尽くした。
兄ならまだしも甥に指図されるのは悔しいはずだ。しかし、司馬孚は皇帝の曹氏にも節度を守った。
司馬孚は次男の司馬昭の良い手本だったに違いない。
司馬懿が口約束を反故にしたり、司馬師が皇帝の首をすり替えたにも関わらず足元を救われなかったのはある程度の筋を通していたからだろう。
そして、死に際。
大仕事をやりきってから逝ったのが強い。
司馬師が文欽と戦っている時に倒れていたら勝敗の行方は違ったかもしれない。
死ぬタイミングは自分では選べないから天が味方したとしか言いようがない。



文欽と諸葛誕の関係がBL 味。
文欽のイメージは筋肉至上主義のゴリマッチョ。
誰彼構わず喧嘩をふっかけては、強い・弱い、上・下で決着をつけなれば気が済まない。最後は屁理屈をつけて俺の方が強いとマウントを取りたがる。
それに対して諸葛誕のイメージは意識高い系。
人間の価値は居住まいの正しさと真っ直ぐな向上心にあると信じている。
何かといえば暴力をちらつかせる文欽を人間として下の下だと見下している。
価値観が正反対の二人が、どういうわけか一つ同じ城の下で背中を預けて共通の敵と戦うって、歴史の皮肉が効きすぎる。好きだよ諸葛誕
諸葛誕は諸葛シリーズの中で知名度が低い。
大して活躍もしてない上に活躍時期が諸葛亮の死んだ後。
でも諸葛誕は部下には愛されたようだ。



孫亮をないがしろにして主家を乗っ取ろうとした孫峻と孫綝は、孫堅の弟の孫静からの分家である。
孫静の子が孫暠で、孫策孫権から見れば、孫暠はいとこにあたる。
その孫暠の孫が孫峻と孫綝である。
孫暠が同世代の孫策孫権に対してライバル心がなかったと言えば嘘になるだろう。
事実、孫策が急死した際に孫暠は孫権から独立しようとした。
虞翻に説得されて思いとどまり、父の孫静とともに隠居することで片が付けられた。
失意の孫暠には二人の子供があり、さらにそれらの子供が孫峻と孫綝となる。
孫峻と孫綝は血縁が近いので連続政権と見ても差し支えはない。
二人が皇帝の位に欲望を隠せなかったのは祖父孫暠の雪辱を果たしたかったと言えるだろう。
本家と分家の主導権争いは本家の孫休が実権を取り返して権力のねじれを修正。
呉の命脈は少し伸びた。



太后は実家の後ろ盾を失っており、頼れるのは先帝の威光と血のつながらない曹芳だけという不安定な立場。女の身ひとつでは床の間の生け花のように儚い。
外戚の悪意に晒されないという意味では男供にとっては利用しやすい
曹芳の教育の失敗を理由に曹芳を引き剥がされ、廃帝を迫られた気持ちはかくや。皇帝選びに介入するのが精一杯。暗躍と見るのは酷だ。
宮廷外からも軽く見られて文欽や鍾会には詔を偽装され、都合よく責任をなすりつけられた。
司馬師は間違いが起きないように、曹髦と皇太后を戦場まで引っ張り出す。
曹髦のプライドは傷つき、凶行の引き金になったに違いない。
二人の皇帝を守れなかったのは皇太后としては痛恨の極みだったに違いない。



姜維は天の加護を受けられなかった。
鍾会に降伏して蜀に取り込んでやろうという作戦は見事。
実際ほとんどうまくいき、鄧艾を追い払った後、鍾会を殺せば蜀の復活だった。
しかし、姜維鍾会、鄧艾、みんな死んで司馬昭の総取りだった。
こんな終わり方まで三国志らしい。

劉禅が全く抵抗せず膝を屈したことは厳しく批判されるが、父親の劉備だったらどうしただろう。
劉備は弟の関羽張飛を見捨てて逃げたし、劉禅は母と共に見捨てられた。
皇帝から曹操暗殺の密書を送られた時も逃げた。
劉禅が身の安全を優先して逃げ出したのは劉備の正しい血ではないだろうか。
劉備の故郷は涿郡涿県。故郷とは正反対の地、蜀で根を下ろした。
蜀の地を渡したらあの世で父に合わせる顔がないと言うのは常識人の理屈だ。
皇帝は逃げられない。だから、劉備諸葛亮に後を譲ったはず。
なのに、常識人たちが 劉禅を推し立てた。
勝手に期待して勝手に失望する。常識人たちの身勝手さこそ非常識。
劉禅が蜀を懐かしまなかったと人は笑うが、心の底は本人しか分からない。



大まかな流れ。

司馬師の暗殺が計画されていたが皇帝の曹芳の決意が定まらず失敗した。
曹芳の悪意に気がついた司馬師は郭太后の同意を得て曹芳を廃位する。
曹芳は酒と女に溺れて風紀を乱した皇帝とされた。
司馬師は次の皇帝に曹操の子の曹據を推薦。
太后は年上の曹據では自分の存在感がなくなると難色を示し、年少の曹髦を推す。
司馬師が妥協し、曹髦が即位する。

司馬師の勝手な廃位に文欽が寿春で反乱を起こす。
曹爽と同郷の文欽は贔屓されたため、曹爽と対立した司馬 氏を憎み恐れていた。
また、夏侯玄と親しくしていた毌丘倹も司馬氏の専横に不満を唱えて反乱に加わった。
二人は郭太后の偽の詔を使って許昌周辺の諸侯を動員。

文欽・毌丘倹が歴戦の猛将であることから傅嘏の提案により司馬師が自ら征伐に向かうことになった。
司馬師は弟の司馬昭と叔父の司馬孚に留守を任せて 病気の体を押して出陣する。

許昌に集結しつつある反乱軍の様子を見た王基は、諸侯たちは文欽の暴力を恐れて従っているだけで本気ではないと見る。
鍾会は文欽と諸葛誕犬猿の仲なので彼に反乱軍の本拠地の寿春を襲わせれば動揺すると提言した。

司馬師は反乱軍の気持ちが一つにならないようにむやみに戦わずゆっくりと進行する。
王基は食料貯蔵庫を守るため、司馬師の命令を無視して敵の城に急接近する。
兵糧を抑え損なった文欽は毌丘倹から鄧艾の部隊が急ぎ足で移動して疲れていると聞き、子の文俶と鄧艾の奇襲に出る。
文欽は寿春から討って出ると、鄧艾は囮だったことが判明。司馬師の本隊に出くわした。
諸葛誕は留守の寿春を落としており、勝機がないと理解した文欽は呉に逃げる。
文欽の敗走を知った毌丘倹は呉に逃げるが途中殺される。

魏の乱を聞いた呉の孫峻が寿春の支援の名目で国境付近まで迫っていた。
しかし、想定より早く諸葛誕が寿春を攻略してしまったので、深追いすると司馬師の本隊と遭遇するおそれがあるので撤退した。
途中、逃げてきた文欽を降して戦果とした。

反乱は鎮圧されたが、司馬師の病気が重篤化。
側近の鍾会、傅嘏、弟の司馬昭を呼んで後の事を話し合った後で亡くなった。
司馬昭は朝廷から洛陽に撤兵させよと命令を受けるが、素直に従わず、自ら兵を率いて洛陽の南に駐屯した。
朝廷(郭太后)は司馬昭を恐れて大将軍の位を授けた。

蜀の姜維は魏が動揺していることを知って動く。
張翼は毎年の北伐で国力が疲弊していると諫めるが、姜維は無視して魏を侵した。
姜維は魏将の王経が凡庸と見て前がかりに攻撃。存分に撃破する。
張翼姜維に十分な成果を得たので帰るべきだと提案したが、姜維は無視。
追撃する。
長安を守る陳泰は鄧艾が応援に来ると聞いて長安守備の心配がなくなり姜維と戦うことを決断する。
姜維に破れた王経は城に立てこもっていたが落城寸前だった。
そこに陳泰は電撃的にあらわれ姜維を破った。
その後の西の防衛は鄧艾に任された。

敗退した姜維はそれでも諦めず 物資を補充しながら越冬した。
春になると再び攻めるが鄧艾はこれを予測しており、鄧艾を甘く見ていた姜維はまた破れた。
姜維諸葛亮を見習って自ら降格した。


呉では孫峻の専横が進み、反孫峻派が命を狙うが全て失敗。
命の不安を感じた孫峻は文欽の策を採用して徐州との国境に城を作り自分の拠点にしようと考えた。領地の強奪には文欽、呂拠、滕胤を行かせた。
ところが孫峻が突然の病で死ぬ。
孫権が後を託したのは遠征にいる呂拠と滕胤だから次の丞相はどちらかだろうと噂されたが、孫綝が政権を掌握した。
納得いかない二人は遠征軍の兵力をいかして不満を唱えた。
孫綝と戦いが始まり、勝敗は孫綝に上がる。
孫綝は孫峻より独善的な男だった。
孫綝の苛烈さを見かねた孫亮は親政を行うと宣言して大赦を行った。


魏の諸葛誕は文欽と毌丘倹の乱で手柄を立てたが、彼は夏侯玄など曹爽の仲間と親しくしていたので司馬昭から罰せられるのではないかと恐れていた。
そこで諸葛誕は寿春の守将の立場を利用して兵力を増強しようとしたが司馬昭に見破られる。
その直後、司空に任命されたので招き寄せて殺すつもりだと一層恐れた。
諸葛誕は寿春で反乱。
呉に人質を出して協力を仰ぐ。
孫亮外戚の全氏一門に文欽をつけて寿春に向かわせる。

司馬昭は速やかな鎮圧より防衛を重視したが、寿春に近い豫洲を守る王基は寿春を包囲。
文欽は寿春と諸葛誕を守るため、包囲網を突破して寿春に入り込む。
司馬昭は皇帝と皇太后を連れて出陣。大兵力で寿春を取り囲んで寿春の補給路を絶つ。
兵糧が乏しくなった文欽は何度も打って出るがいずれも破れた。
孫綝は朱異に包囲陣の外側から攻撃させるが敗退。
孫綝が増援を送るも朱異は兵糧を焼かれて再び敗退。
さらに増援を送ると、今度は朱異の動きが止まった。
それを不審に思った孫綝は朱異を殺す。

寿春の籠城は長期間に及んだ。
諸葛誕と文欽には打開策もなく二人の仲は険悪なため意見が割れた。
しだいに離反するものが増えて全氏一門がまるごと魏に降ってしまった。
もともと文欽を嫌っていた諸葛誕は文欽を殺す。
司馬昭は文欽の子の文俶の降伏を受け入れたので降伏者が相次ぎ、諸葛誕は劣勢となって討ち死にした。
孫綝の戦術眼のなさを見て司馬昭はさらに追撃しようとしたが王基の反対にあって深追いをやめた。

大敗北した呉では総大将の孫綝の身の振り方に注目が集まった。
孫綝は戦いを途中で投げ出して勝手に帰ってきたことをうやむやにした。
孫亮はそれを嫌って誅殺しようとしたが計画が漏れて逆襲された。

孫綝は孫亮廃帝し、孫権の子の孫休を立てる。
孫休は孫綝の傀儡として振舞うと孫綝は気を許したので、孫休は隙を突いて張布を使って殺した。
呉の実権は孫休が握った。

司馬昭は 相国に昇り晋公に封じられる。
魏では若い曹髦が司馬昭と郭太后に不満を爆発させ、皇太后府を襲撃。続いて司馬昭を襲ったが、賈充の兵と衝突して討ち死にした。
曹髦は見境なく乱心する愚かな皇帝として処理された。
司馬昭は次の皇帝に曹操の孫の曹奐を指名。
陳泰は賈充が皇帝を害したことを非難し、賈充の死刑を求めたが司馬昭は腹心の賈充を庇って実行犯の成済たちを処刑してお茶を濁した。
それでも非難する者はおらず国民も騒がなかった。

蜀の姜維の侵入を鄧艾が退ける。姜維は戦争で留守がちで成都では宦官の黄皓が力を持ち始めていた。
蜀の国力低下を見た鍾会司馬昭に蜀の制圧を提案する。鄧艾を使って姜維を誘い出し、背後に回った部隊が退路を断つ。姜維の動きを封じている間に鍾会が漢中に入るという目論見だった。
しかし結果としては姜維は剣閣に立てこもり、鍾会は落とせず足止めをされた。
その隙に鄧艾が横道を発見。江由にたどり着いた。
想定外の諸葛瞻は涪城から綿竹に移り必死に抵抗するが、鄧艾に攻め落とされた。
諸葛瞻の敗北を聞いて劉禅は降伏した。

降伏は受け入れられ、三国時代は終わった。

成都に入った鄧艾は速やかに蜀を制圧。勢いを利用して呉を攻めようとした。
剣閣を守る姜維成都劉禅が降伏したことを知り鍾会に降伏した。
鍾会は鄧艾の独断専横を都に知らせたので司馬昭に謀反の疑いをかけられて身柄を拘束された。
有意性を取り戻した鍾会姜維成都に入った。

独立志向の鍾会と蜀の復活を望む姜維の利害が一致。
鍾会の叛乱を察知した司馬昭長安に移動。皇族の乱にも目を光らせた。
司馬昭は賈充を使者として鍾会に鄧艾の護送を命じた。すると鍾会司馬昭の殺意に感づき、魏から独立しようとする。
しかし、鄧艾派が激しく抵抗して姜維は乱戦の中で死ぬ。さらに鍾会と鄧艾も死んだ。

司馬昭は洛陽に戻る。
呉は混乱に乗じて永安を奪おうとしたが失敗した。
すでに郭太后は死去しており皇帝の曹奐は孤立した。
降伏した劉禅は安楽公に封じられた。

呉は皇帝の 孫休が死去。
孫休は子が幼かったので孫和の子の孫晧が即位した。
司馬昭は子の炎を太子に指名して死去する。
のちに司馬炎は呉の孫晧を降して中華を統一する。

眺めの会・11月上旬『トップガン・マーヴェリック』

今年大ヒットしたトップガン・マーヴェリック。
DVD が発売されましたね。
Amazon プライムでは9月下旬から配信が始まっていましたが、レンタル配信が400円程度まで値下がりして見やすくなりました。
ずっとこの時を待っていたのだよ!
今こそ見るべき時です。

視聴プラットフォームは Amazon プライムビデオ。
プライム会員向け有料配信です。
字幕は見つからなかったので吹き替え版です。

トップガン・マーヴェリック。

2022年に公開されたアメリカのアクション映画。
1986年に公開された『トップガン』の続編。
監督はジョセフ・コシンスキー
脚本はアーレン・クルーガーエリック・ウォーレン・シンガークリストファー・マッカリー
主な出演者はトム・クルーズマイルズ・テラージェニファー・コネリー
上映時間は130分で 言語は英語(吹き替えは日本語)。
年齢レーティングは全年齢。

あらすじ。

とあるならず者国家がルールを無視した核開発を着手していた。
マーベリックはそれを破壊するミッションに、かつての同僚アイスマンから召集される。
ただし、任務は飛行ではなく、集められた若きトップガンたちの指導だった。
その生徒の中にはかつての事故で死んだ相棒グースの息子ルースターが入っていた。
ルースターは父親の事故のことと、彼がパイロットにならないようにマーベリックが工作したことを恨んでいた。
マーベリックはトップガンを育てて任務を成功させられるか。

見終わった感想 もちろんネタバレあり。

世代を超えた傑作。

素晴らしい。
見た後は興奮しちゃって誰でもいいからトップガンの話をしたくなった。
半年前に1回見ただけのニワカの私がこれだから熱いファンならずっと喋っていられるだろう。
話題になる理由が分かった。
やってることは35年前と変わらないのに、見えるものは全く違う。
次世代を担う若者を後ろの座席に乗せて、背中で生き様を教えるマーベリックの姿には胸を打たれた。

フライトシーンの迫力はもう見てくれとしか言えない。
実戦に入った時の緊張感!
居並ぶ対空ミサイル。訓練とはガラリと変わる雪景色。
2分30秒があっという間だった。
35年の技術革新で可能になったあらゆる技術を全部盛り込んでた。
かつての愛機 F‐14がポンコツと言われながらも活躍してたのがよかったね。
その後ろに乗るのが相棒の息子というのがまた胸アツ。
脱出ハンドルの因縁をきっちり乗り越えてもう一度胸アツ。
アホでも分かるように演出してくれててとても親切。
空母に帰還してグースの子と抱き合う場面、前作の「あの」名場面を彷彿させる映像!なのに相棒と一緒に生還する。
まさに我々が見つかったのはこれ。この世界線を見たかった。
続編として針の穴を通すような脚本の完成度に大満足。
続編には前作の呪縛が必ずついてくる。
回収してほしい伏線、名場面、決め台詞。すべてを盛り込んで欲しいのはファンとして当然だから。
サービス精神旺盛な監督は剛腕を発揮して全部盛り込んだ結果ツギハギだらけの不自然な展開となってしまって台無しにしてしまうことも散見される。
マーベリックはそういう期待を大きく飛び越えてくれた。
GAGAの主題歌も良かったわ~~~。
吹き替えのクオリティも高くて何の問題もなかった。
アイスマンのチャットには翻訳がなかったので英語わかんないから混乱したけど。

眺めの会・10月下旬 『竜とそばかすの姫』

この2ヶ月間、ゴッドファーザー三国志など重厚長大な作品が続いて重たい気持ちです。
特に見たいタイトルもないのでプライムビデオの会員特典無料のコーナーから選びました。
つい最近テレビ放送もあった『竜とそばかすの姫』です。

視聴プラットフォームはアマゾンプライムビデオ。
プライム会員特典で無料で視聴できます。
年齢レーティングは PG 12です。

竜とそばかすの姫。

2021年に公開された日本の長編アニメ。
監督脚本は細田守

あらすじ。

幼い頃の事故で母親を失ったことをきっかけに歌うことができなくなった女子校生のすず。
親友の誘いでバーチャル空間「U」に入って仮想の自分「Belle」になってみると歌声が出せることがわかる。
Belle(ベル)の歌は徐々に人々を惹きつけ世界的な歌姫となるが、ライブに龍が現れ乱闘を起こし、ライブは中止となる。
傍若無人で嫌われ者の竜にベルは何となく心を惹かれる。

見終わった感想 ネタバレ含む。

歌の力ってすごいね。

すごく良かった。
すっごい盛り上がって感動のあまり涙腺崩壊しそうだった。
歌に入った時の盛り上がりがすごい。
乗り気が薄かったのが吹っ飛んだ。
歌が途中に挿入される作品でこんなに没入したのは初めてかもしれない。
ディズニーアニメのように 唐突に歌が始まると萎えてしまうタイプなんだけどこの作品には不思議とそういうのがなかった。
声優から歌手に声が変わるところも大きなギャップはなく、なめらかに合流して、終わるべきところで終わってた。
竜がベルに向けてアンサーソングを歌い始めたらどうしよう?
と、謎の不安に駆られるシーンが一箇所だけあったけど、蛇足がなかったのは本当に良い。
曲の音造りは日本人好みだし、歌詞も日本語だから翻訳による違和感もなかった。
多くの人はディズニーアニメを見た方が良いと言うだろうけど、 私には受け入れやすかった。
英語圏の人たちは最初からこういう体験をできているのだとすると羨ましい。
ネイティブっていいね!


結末は後から振り返るとよくわからん。
サマーウォーズと重なる部分もあって途中まで凡庸なストーリーだった気がする。
竜の正体に特別な伏線がないので驚いた。
母親の事故とか過去の回想に絡んでくるものだと身構えていたら唐突に東京の兄弟が現れた。
兄弟との出会いに必然性がなく、問題の提示と解決方法唐突で随分戸惑った。
偶然写り込んだ景色に見覚えがあるとか話ができすぎ。
東京まで会いに行くと言う行動も謎。
正体を明かして会いに行ったところで家庭内暴力が解決するのか?
必然性がいまいちわからない。何もかもが情動的で無計画。
気持ちだけで突き動かされている。
それなのに訳も分からず感動しちゃった。
だから、まるで狐に化かされたような気持ちになってる。
でも歌ってそういうもんじゃないの?
何の脈絡もないのに背中を押してくれるのが歌。
この人のために歌いたいって気持ちに説明は要らないでしょ。
むしろ彼らを助けるためにチャリティーライブなんかを行ってしまうほうが興ざめだよ。結局金かい!!って。
確かにロジックでは説明しづらい筋書きではある。
だからこそ歌は人を突き動かすと逆に証明しているとも言える。


フェイクニュースに対する向き合い方は時代に合っていると思う。
サマーウォーズからアップデートされたのはここ。
現代社会の根深い問題をちょっと意地悪な角度から、しかも嫌な感じなリアリティで再現している。
ちょっと悪ノリが過ぎてる気もするが私は好き。
細田守はインターネット空間の優しさとか悪意を描かせたら右に出る者はいないほどの腕前だね。
海外の SNSとはまた空気感が違うだろうから この辺の面白味は日本の 作品だからこそ味わえたと思う。
うちらが見てる景色をうちらの価値観で表現してくれるクリエイターがいるって素晴らしいね。


小さな仕掛けの密度の高さはサマーウォーズの時から好き。
駅の告白シーンで高校生男子がパニクっているのは完全にコント。
告白シーンはどんな作品であれそわそわして見ていられないんだけど、画面の左端を使って隠してくれてるのは優しさ。
女子グループのいざこざを信長の野望的ヘックス画面で表していたので本当にツボ。
あの年頃の女は一度くらいワルに恋をするってのは優しくないな。
大人の経験談でそれを言われては自意識が邪魔をして恋できなくなる。
青春の描きかたの是非は男女で評価が分かれるかもしれん。
人気 YouTuber を漫才形式で茶化す二人が悪意ありすぎて 失笑する。
繊細チンピラババアの見苦しいセルフブランディング( アバターを赤ちゃんにすれば不利になった時弱者ポジションを取れるテクニックでしょ? )を図星をついて一刀両断。
竜の少年の YouTube ウィンドウを人混みをかき分けるように一枚ずつどかしながら探すのは昭和にはない表現だったね。
細田作品はそんな例え方があるのかと毎回驚かされる。


今回の眺めの会は軽く終わらせてくれなかった。